The Legend of 1919

─有島武郎の『或る女』

 

「アダムよ。お前には一定の住所も顔かたちも特性も与えなかったが、それはお前がお前の意志と判断によって、思うままにそれらを決めることができるようにしたためである。自然は定められた法則に束縛されているが、お前は自由意志によって何ものにもなることができる」。

ピコ・デラ・ミランドラ『人間の尊厳について』

 

 

 有島武郎の『或る女』(一九一九)には二つの構造が混在している。一つは圧縮=開放であり、もう一つは重層・内包である。それはこの作品が生まれた二つの時代の狭間を表象している。

 

I know your works, that you are neither cold nor hot. I wish you were cold or hot. So, because you are lukewarm, and neither hot nor cold, I will vomit you out of my mouth.

(“The Apocalypse of John3:15-16)

 

 近代に入って、産業資本主義と国民国家体制が北大西洋諸国を席巻する。ナポレオン戦争によってヨーロッパに広まった近代の理念は、ウイーン会議により反動勢力が優勢になった時期もあったものの、隆盛し、一八四八年革命と産業革命という政治・経済両面の革命は欧米の風景を変容していく。それを推進した一つの原動力が蒸気機関である。圧縮=開放というサイクルは、ヘラクレイトスとタレスが融合したかのように、かつてないほど効率的で爆発的なエネルギーを人々に与えている。

その蒸気機関は鉄道という新たな交通手段を導き出し、それは地球規模で標準化された時刻をもたらしている。史上初めて世界が統一=征服されたのである。強大な軍事力を誇った古代ローマ人も、モンゴル人も実現できていない。各地域で、それぞれ太陽時を使っていたが、鉄道が開業され始めると、このままでは、鉄道のダイヤグラムで混乱が起きるため、一八八四年一〇月にワシントンで開催された第一回国際子午線会議において、標準時が導入される。カナダ太平洋鉄道の主任技師サンフォード・フレミングが一八七八年に提案してたアイデアに基づき、地球を二四の時間帯にわけ、基準位置をイギリスのグリニッジ天文台を通過する経度ゼロの子午線とし、これをグリニッジ平均時と公認する。各地の時刻は平均時との時差において国際的に把握される。時間帯はグリニッジ天文台から東へ一二、西へ一二の地帯に分割され、各時間帯は経度一五度の幅になる。ただ、実際には、時間帯の境界線は州の境界や国境、あるいは経済活動に便利なように区切られている。三〇年間船員生活を続けたジョゼフ・コンラットが『密偵』で描いている通り、一八九四年、時刻の標準化に怒りを覚えたアナーキストがグリニッジ天文台を爆破するテロを計画するが、当局から放たれたスパイにより、未遂に終わる。以来、近代人は時刻によって時を認識しなければならない。標準時間は近代的な意味の西洋中心主義の象徴である。

 

HAMM: What time is it?

CLOV: The same as usual.

(Samuel Beckett “Endgame”)

 

その近代において、「近代小説(Modern Novel)」が誕生する。この新たな文学ジャンルは、近代化による神の死や封建制の解体と均質化を標準化された言語で描かれる。と同時に、近代の矛盾をアイロニカルに批判するものの、その権力に加担していると非難されもする。「信仰と理性の対立はわれわれの時代にあっては、哲学そのものの内部対立となっている」(GWF・ヘーゲル『信と知』)。産業資本主義=国民国家が農民や商人、貴族といった身分を国民に収束させたように、近代小説はアナトミーやロマンス、告白などの諸ジャンルを吸収する。主人公は、語り手同様、「国民」である。英雄でも愚か者でもなく、平凡な人物であるが、世間の好奇心と噂話を刺激するスキャンダルに巻きこまれている。作品にはモデルが実在しており、それがスキャンダル性を強調する。近代小説の起源は、新聞の記事をモデルにしたダニエル・デフォーのピューリタン文学『ロビンソン・クルーソー漂流記』(一七一九である。それは主人公が中産階級から逸脱して、無人島に渡り、自給自足の生活をするという話であるが、一二世紀のスペインで活動したイスラム哲学者イブン・トゥファイルの『ヤクザーンの子ハイイ物語』をモチーフにしている。これは「生きているものは、目覚めているものの息子」であると孤独な自然人が自己形成を果たし、ついにアラーとエクスタシーの中で合一する物語である。週刊誌The Reviewの発行人は、このオリエントの宗教的物語を枠組みに使い、三面記事を融合させ、新たな文学ジャンルを生み出す。勤労と信仰を旨とする産業資本家に多いイギリスのカルヴァン主義者は、一六四二年、絶対主義を打倒する史上初のブルジョア革命を実行し、一六四九年、オリバー・クロムウェルはスチュアート朝のチャールズ一世を処刑する。近代小説はそうしたピューリタンの美徳を意識しているため、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ヴェーバー)に重なり合うのみならず、ピューリタニズムに対する批判も体現される。ピューリタンは社会の掟と個人の自由との間で、初めて、葛藤した人々である。姦通は、雰囲気を出すために一七世紀の文体で書かれたナサニエル・ホーソーンの『緋文字』(一八五〇)が示しているように、ピューリタンの間では特別の意味を帯びている。姦通罪を犯したものはさらし台に立たされ、「姦通(Adultery)」を意味するAの緋文字を生涯身につけなければならない。先祖に魔女裁判の裁判官がいるものの、ピューリタンではないホーソーンはRW・エマーソンやHD・ソロー、マーガレット・フラーといった超絶主義者も交際し、近代化に対する疑問を覚えている。ヘスター・プリンとアーサー・ディムズデール、チリングワースことヘスターの夫ロジャーの関係は、ヘスターが罪、ディムズデールが偽善、チリングワースが復讐を象徴している。一九二六年、『緋文字』が映画化され(邦題『真紅の文字』)、リリアン・ギッシュがヘスターを演じた際、アイロニカルに映画の効用を当時厳しかった検閲官に説くものとして描かれている。政治的動向によりピューリタンは非国教会教徒からキリスト教原理主義者まで含む非常に曖昧な概念であり、諸ジャンルを吸収した近代小説は、その意味でも、ピューリタン文学と言える。夏目漱石が、『文学評論』において、デフォーを「労働小説」と痛烈に批判している通り、資本主義化していく世界は生産=労働の時代に突入し、スチーム・ノベルはそれにふさわしい文学ジャンルである。近代小説は標準時による同時代性が完成しつつある時代の文学であり、読者もその同時代性を意識して共感=反発する。その文体は国民国家にとって教科書であり、作文である。

ギュスターヴ・フローベールは、『脂肪の塊』を読んで、ギー・ド・モーパッサンに次のような手紙を送っている。

 

 早く、君に言いたくてじれったかった。私は『脂肪の塊』を傑作とみなす。そうだよ! 若いの! 正真正銘の傑作だ。大家の風格がある。構想はまったく独創的だ。完全によくのみこめている。文章もすばらしい。背景も人物も目に見える。心理の扱いもしっかりしたものだ。手短に言えば、私は大満足だ。二、三度大きな声を出して笑ったよ。

 (略)この小さな物語は残るぞ、私がうけあう! 君の書いたブルジョアどもの面はまったくすばらしい! 一人として的をはずれていない。コルニュデはすてきだ、そして真実だ! あばた面の尼、これも完全、それから、「すると、何かね、あなたは……」と猫撫で声を出す伯爵、それに結末がいい! かわいそうな女が泣いている。一方でコルニュデがマルセイエーズをうたう。すばらしい。

 

 「この衝突、この難局、この問題の解決は、未来の歴史が解決しなければならないものなのである」(GWF・ヘーゲル『歴史哲学』)。文学的評価は絶対的ではなく、その発行部数や投書など読者からの反響により資本主義的に判断されざるを得ない。このニヒリズムの文学が体現しているのは、蒸気機関に支えられた社会にふさわしく、圧縮=開放の物語であり、正真正銘の「国民文学」の規範を目指している。国民国家は公教育を通じて国民を生産するため、そのイデオロギーは正しい国語で記された活字メディアによって普及・浸透されなければならない。近代小説は新聞に連載されるか、書籍として刊行される。スチーム・ノベルは近代化運動がワールド・ワイドに普及していくにつれ、支配的な文学ジャンルとして世界各地に輸出される。

明治維新以降の日本においても、近代小説の形成へ向けて文学的活動が続けられる。陸蒸気が文明開化の象徴となり、一八八八年(明治二一年)一月一日から、東経一三五度の子午線の時刻を日本の中央標準時と制定されている。文学の近代化運動の結実が島崎藤村の『破戒』(一九〇六)である。この作品は過去形に統一された三人称の語り、内面の変化、近代化しつつあるローカルな風景の描写が見られながら、国民国家の理念に反する被差別部落問題を主題にしている。小学校教師の瀬川丑松は被差別部落出身であり、出自を明かしてはならないという父からの戒めを守り続けるけれども、心の葛藤に苦悶する。学校は、近代日本において、近代化を布教する教会の機能を果たし、教師は宣教師に譬えられる。下宿先の蓮華寺の養女風間志保との愛と出自を隠さずに偏見と闘った思想家猪子蓮太郎の著作に触れたことにより、彼は児童たちにすべてを告白し、新しい世界を求めてテキサスに旅立つが、それを志保や児童、同僚が差別意識に満ちた校長の命令に反して見送りに来る。この圧縮=開放の物語は近代小説の国民国家的イデオロギーを体現しつつ、それを批判するという両面性を兼ね備えている。近代小説はスキャンダルを描くために、モデルを求める。丑松は長野県飯田市出身の教育者大江磯吉がモデルである。彼はその出自に対する偏見から長野県での職を追われ、各地の学校を転々とした後、三四歳の若さで兵庫県柏原中学校長に就任している。さらに、全国水平社から差別語の多用や主人公の消極性などの理由で糾弾されている。『破戒』は完璧な国民文学であり、日本近代文学は『破戒』をプロトタイプとして発展してきたのである。

 日本の一九世紀には二つの状態がある。一つは江戸であり、もう一つは西洋的な近代化である。日本文学は、そのため、日清戦争と日露戦争を通じて二度の父殺しをしなければならない。江戸までの日本文学の基盤となった中国、それに二葉亭四迷の翻訳を通じて生まれた近代文学が手本としたロシアを殺して、トーテムとタブーは完成する。「われわれの知識はつねに意識と結びついている。無意識ですら、われわれはそれを意識に変換することによってのみ知ることができる」(ジークムント・フロイト『自我とエス』)。二つの一九世紀の同居は近代的な家族制度ではなく、封建制と近代制が混在した家制度を形成させる。「婚姻によって新家族がたてられる。この新家族はそれが出てきた両家系あるいは両家に対して、それ自身だけで独立しているものである。そのような家系ないし家との結びつきは自然的血縁関係を基礎としているが、新家族は倫理的愛を基礎としている。したがってまた、個人の所有は彼の婚姻関係と本質的に繋がっているのであって、彼の出てきた家系ないし家との繋がりはもっとへだたったものであるにすぎない」(GWF・ヘーゲル『法哲学』)。近代的な家族は夫婦関係を中心に構成されるのに対し、家は自然的血縁関係を基礎とした親子の繋がりにおける生活共同体である。丑松が渡米していくように、日本を舞台にし続ける限り、近代小説は困難である。前者に基づく近代小説に代わり、後者を批判する私小説が日本近代文学の本流になる。

 

葉子はとにかく恐ろしい崕のきわまで来てしまった事を、そしてほとんど無反省で、本能に引きずられるようにして、その中に飛び込んだ事を思わないわけには行かなかった。親類縁者に促されて、心にもない渡米を余儀なくされた時に自分で選んだ道――ともかく木村と一緒になろう。そして生まれ代わったつもりで米国の社会にはいりこんで、自分が見つけあぐねていた自分というものを、探り出してみよう。女というものが日本とは違って考えられているらしい米国で、女としての自分がどんな位置にすわる事ができるか試してみよう。自分はどうしても生まるべきでない時代に、生まるべきでない所に生まれて来たのだ。自分の生まるべき時代と所とはどこか別にある。そこでは自分は女王の座になおっても恥ずかしくないほどの力を持つ事ができるはずなのだ。生きているうちにそこをさがし出したい。自分の周囲にまつわって来ながらいつのまにか自分を裏切って、いつどんな所にでも平気で生きていられるようになり果てた女たちの鼻をあかさしてやろう。若い命を持ったうちにそれだけの事をぜひしてやろう。木村は自分のこの心の企みを助ける事のできる男ではないが、自分のあとについて来られないほどの男でもあるまい。葉子はそんな事も思っていた。日清戦争が起こったころから葉子ぐらいの年配の女が等しく感じ出した一種の不安、一種の幻滅――それを激しく感じた葉子は、謀叛人のように知らず知らず自分のまわりの少女たちにある感情的な教唆を与えていたのだが、自分自身ですらがどうしてこの大事な瀬戸ぎわを乗り抜けるのかは、少しもわからなかった。そのころの葉子は事ごとに自分の境遇が気にくわないでただいらいらしていた。

(『或る女』)

 

 『或る女』にも、圧縮=開放の図式があり、心理の変遷や色彩豊かな風景描写、封建制との闘争など近代小説の要件を備えている。また、有島自身もピューリタンと格闘した作家である。しかしながら、『或る女』は近代小説から微妙に逸脱している。

 有島武郎は『或る女のグリンプス』を一九一一年一月から一三年三月まで同人誌『白樺』に連載する。一九一九年に、『或る女のグリンプス』を前編にし、大幅に加筆して、『或る女』として刊行している。分量は二倍に増え、主人公の名前も田鶴子から葉子に変更されている。

 一九〇一年(明治三四年)九月から翌年夏までを舞台にしている『或る女』のプロットは次の通りである。キリスト教婦人同盟副会長を母に持つ早月葉子は、古い因習にとらわれている周囲に反発して、日清戦争の従軍記者として名声をはせた木部孤筇と結婚するが、二ヶ月で離婚する。その後、両親を失った葉子は、婦人同盟会長の五十川の企てにより婚約してしまった木村貞一の待つアメリカへシアトル行きの絵島丸で渡る途中、事務長倉地三吉に惹かれてしまい、そのまま日本に帰国する。葉子の監視役として同船していた法学博士の田川夫妻は新聞にそのスキャンダルを流し、妻子を捨てて葉子と結婚した倉地を失職させる。倉地は金のためにスパイとなり、行方をくらましてしまう。残された葉子は心身の健康を害して、下町の病院の一室で、木村の友人の古藤義一に依頼して呼んでもらった牧師の内田を待ちながら、後悔しつつ、死んでいく。

『或る女』の登場人物には、『破戒』と同様、モデルがいる。日清戦争の際に従軍記者として有名になった国木田独歩は、仙台藩士出身でキリスト教徒の病院長佐々城本支を父に、キリスト教婦人矯風会幹事佐々木豊寿を母に持つ佐々城信子と熱烈な恋愛の後に結婚する。しかし、五ヶ月で信子は独歩を捨てて失踪し、有島武郎の友人である森広と婚約して、森がいるアメリカへ向けて横浜から渡航する。けれども、彼女は乗船した鎌倉丸の事務長武井勘三郎と意気投合し、下船せず、そのまま日本に引き返してしまう。同船していた鳩山和夫・春子夫妻は二人を責め、春子が『報知新聞』に「某大汽船会社中の大怪事。事務長と婦人船客の道ならぬ恋。船客は国木田独歩の先妻」と書き立てさせたため、信子は、独歩との間に生まれた子供を親戚に預け、武井と蒸発する。この信子が葉子、独歩が木部、武井が倉地、森が木村、鳩山夫妻が田川夫妻、有島武郎が古藤、矢島楫子が五十川女史、内村鑑三が内田牧師である。近代化が進む中で、さらなる解放を望む高踏派的な女性をめぐるこのスキャンダルを『或る女』はほぼ踏襲している。

『或る女』の前編はほとんどが絵島丸を舞台にしている。その意味で、日本文学における最初の客船文学である。後に、前田河広一郎の『三等客船』(一九二〇)や小林多喜二の『蟹工船』(一九二八)が示しているように、船はブルジョアの横暴とプロレタリアートの迫害の場所である。シアトル行きの絵島丸は日本郵船の所有の鎌倉丸をモデルにしている。山下公園に係留されている氷川丸も昭和初期にシアトル航路客船として造船されているが、これはその前の花形船である。一八八五年、日本郵船会社は、激しく、荒っぽい競争を繰り返してきた三菱汽船会社と共同運輸会社が政府の調停によって、合併し、創立された会社である。明治に入ってから、客船はしばらく外国製だったが、一八九四年、初の国産客船が登場する。一八九六年の航海奨励法・造船奨励法を背景に、近海航路だけでなく、日本郵船はインド・オーストラリア・欧米航路を開設し、日露戦争・第一次世界大戦を経て、急速に発展している。けれども、日本船の船員のサービスが欧米の船と比べて著しく悪かったように、重要な必要経費をケチって儲けていることは明らかである。その上、一九一二年のタイタニック号の沈没をきっかけに、船員の七五%は船長の話す言語を理解できるものを採用しなければならなくなり、人件費の安い中国人船員を雇用しにくくなったため、経営者は頭を抱えることになる。当時、客船の中心は富裕層が多い大西洋航路であり、太平洋航路はマイナーでしかない。アジア人に対する差別がひどく、料金のみによる等級わけであるはずなのに、アルゼンチン・タンゴやチャールストンが踊られ、小さなニューヨークだった欧米の客船では、アジア人は最下層の客室におしこめられている。ホテルや列車、自動車を舞台にした文学作品が書かれ始めてから、客船文学も登場する。その後、客船の役割は旅客機に奪われ、文学作品の舞台としては魅力的ではなくなる。

『或る女』は、後の客船文学を予感させるように、階級対立が描かれている。葉子とそれを監視する田川法学博士夫妻、彼女が一目惚れする船の事務長の倉地を中心に前編の物語が展開する。さらに、それにあわせて、モッブとして水夫が登場してくる。

有島は、『或る女』の中で、水夫たちを次のように描いている。

 

 結びこぶのように丸まって、痛みの為めに藻掻き苦しむその老人の姿に引きそって、水夫部屋の入口までは沢山の船員や船客が物珍しそうについて来たが、そこまで行くと船員ですらが中に這入るのを躊躇した。どんな秘密が潜んでいるか誰も知る人のないその内部は、船中では機関室よりも危険な一区域と見做されていただけに、その入口さえが一種人を脅かすような薄気味悪さを持っていた。葉子は然しその老人の苦しみ藻掻く姿を見るとそんな事は手もなく忘れてしまっていた。(略)葉子はその老人に引きずられてでも行くようにどんどん水夫部屋の中に降りて行った。薄暗い腐敗した空気は蒸れ上るように人を襲って、陰の中にうようよと蠢く群れの中からは太く錆びた声が投げかわされた。闇に慣れた水夫達の眼は矢庭に葉子の姿を引っ掴まえたらしい。見る見る一種の昂奮が部屋の隅々にまで充ち溢れて、それが奇怪な罵りの声となって物凄く葉子に逼った。たぶたぶのズボン一つで、筋くれ立った厚みのある毛胸に一糸もつけぬ大男は、やおら人中から立ち上ると、ずかずか葉子に突きあたらんばかりにすれ違って、すれ違いざまに葉子の顔を孔の開くほど睨みつけて、聞くにたえない雑言を高々と罵って、自分の群れを笑わした。

 

老水夫が怪我をしたとき、葉子は、「ランプを持つ少女」ことフロレンス・ナイチンゲールさながらに、一等船客や下級船員が見下す水夫部屋まで降り、介抱する。彼女がこの部屋に入るのはそこが暴力とエロティシズムの雰囲気が漂うタブーだからである。葉子はお上品な船客や鼻持ちならない船員たちだけではなく、船底の水夫たちの間でも話題になる。けれども、葉子をとりまくブルジョアやインテリは自己欺瞞によって彼女に好意をよせるのに対し、水夫たちは性欲の対象としか見ていない。彼女はブルジョアの欺瞞を軽蔑し、そのモラリティに反する行動をとり続け、田川夫妻を怒らせる。この蒸気船の中は、葉子や倉地、田川夫妻、水夫が代表する三つの階層にわかれ、それぞれ自我、超自我、イドに対応するだろう。超自我による禁止の下、自我は奔放なエスを現実原則に則らせようと試みる。これは葉子の内部で働く圧縮=開放の葛藤であり、それが蒸気船内の階層対立に反映している。

「偶然な社会組織の結果からこんな特権ならざる特権を享受した」(『小さき者へ』)自らの生まれを告げる有島は、『宣言一つ』において、階級闘争について次のように述べている。

 

若し階級争闘というものが現代生活の核心をなすものであって、それがそのアルファでありオメガであるならば、私の以上の言説は正当になされた言説であると信じている。どんな偉い学者であれ、思想家であれ、運動家であれ、頭領であれ、第四階級的な労働者たることなしに、第四階級に何者かを寄与すると思ったら、それは明らかに僣上沙汰である。第四階級はその人達の無駄な努力によってかき乱されるの外はあるまい。

 

 有島の階級意識はフランス革命のイデオロギーに忠実である。「第四階級(The Forth Estate)」はフランス革命時の聖職者・貴族・平民に次ぐ新興勢力を意味している。今日では、ジャーナリズムを指すが、当時は、プロレタリアートとして用いられている。一七八九年、アベ・シェイエスことエマニュエル・ジョセフ・シェイエス(L’abbe Emmanuel Joseph Sieyes)が『第三身分とは何か?(Qu' est-ce que le tiers état?)』を書き、「第三身分とは何か?すべてである。何があるか?無である。(Qu' est-ce que le tiers état? Tout. Qu'a-t-il été ? Rien.)」と主張している。第一身分の僧侶、第二身分の貴族といった特権身分に対する身分が第三身分である。有島は、つねに、受容した思想に対して原理主義的傾向をとるが、階級に関しての同様である。

「第四階級的な労働者」ではない葉子は、高邁な理想の下に、水夫たちに接するわけではない。「第四階級に何者かを寄与する」のが目的ではなく、イドの世界であり、禁じられているために、彼女はそこに赴く。有島の「階級争闘」は階級という集団間の闘争を意味しない。それは各階級の間にあるタブーを確かめ、破る行為である。階級はタブーによって規定されるが、タブー破りという個人の「争闘」によってアイロニカルに確認される。

葉子が「胸の下の所に不思議な肉体的な衝動をかすかに感じる」倉地に対し、有島は「猛獣のような」や「好色の野獣」、「粗暴」、「insolent」と形容している。こうした表現は彼女や有島がキリスト教徒ということで初めて意義がある。三島由紀夫のようなセム系の一神教とは無縁な作家が同様の比喩を使ったとしても、それは空疎になってしまう。と言うのも、これは進化論によるキリスト教批判だからである。「人間は大げさな議論をするが、その大半は空虚で意味がない。動物は僅かな議論しかしないが、それは有益で真実を含む。大きな無意味より、小さな確実を私は選ぶ」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)。

 

I got pictures of naked ladies

Lying on their beds

I whiff that smell and sweet convulsion

Starts a-Swelling inside my head

I'm making artificial lovers for free

I start to howl I'm in heat

I moan and growl and the hunt drives me crazy

 

I fuck like a Beast

 

I come round, round I come feel your love

Tie you down, down I come steal your love

I come round, round I come feel your love

Tie you down, down I come steal your love

 

I'm on the prowl and I watch you closely

I lie waiting for you

I'm the wolf with the sheepskins clothing

I lick my chops and your tasting good

I do whatever I want to, to ya

I'll nail your ass to the sheets

A pelvic thrust and the sweat starts to sting ya

 

I fuck like a beast

 

I come round, round I come feel your love

Tie you down, down I come steal your love

I come round, round I come feel your love

Tie you down, down I come steal your love

Come ride, savage seduction

Ride, ride, ride

(WASP “Animal Fuck Like a Beast”)

 

進化論は、キリスト教にとって、スキャンダルであり、排除しなければならない。創造論を支持するウィリアム・S・クラークは、アメリカの学会で、進化論派との論争に敗れ、失意のうちに、札幌農学校の教授になるべく日本へ渡っている。けれども、このいささかいかがわしい人物の思いに反して、日本は、彼の赴任した学校も含めて、進化論をすんなりと受け入れる。キリスト教は暴力とエロティシズムを忌避してきたが、ダーウィニズムはそのタブーを直視する。それらは進化に不可欠だからだ。「偶然なるものの中には、恒常的でない真実というものが存在している」とアリストテレスは『詩学』の中で言ったが、一切のものは相互に関係の中にある。生成・変化の状態にあり、自然は流れゆく巨大な多様態である。「私は、生物と同様に生活している。そしてわれわれが日々の生活から受ける変化につれて変化する。これは当然のことである。何となれば、絵はこれを眺める人を通してのみ生きているのだから」(パブロ・ピカソ)。人間を知ろうとするには人間だけ考えていては不十分である。「人間の解剖は猿の解剖への鍵である」(カール・マルクス『経済学批判序説』)。見えない目標に向かって生物は生きなければならない。ダーウィニズム的時間は、動的な組織化によって、現在・過去・未来が総合的かつ活動的な関係をしている。「人間は克服されるべき何ものかである」(フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストゥラはかく語りき』)

この暴力とエロティシズムの傾向は、『カインの末裔』(一九一七)において、次のようにより強調されている。

 

仁右衛門はまたひとりになって闇の中にうずくまった。彼は憤りにぶるぶる震えていた。あいにく女の来ようがおそかった。おこった彼にはがまんができきらなかった。女の小屋にあばれこむ勢いで立ち上がると彼は白昼大道を行くような足どりで、やぶ道をぐんぐん歩いていった。ふとある疎藪の所で彼は野獣の敏感さをもって物のけはいをかぎ知った。彼ははたと立ち止まってその奥をすかして見た。しんとした夜の静かさの中でからかうようなみだらな女のひそみ笑いが聞こえた。邪魔のはいったのを気取って女はそこにかくれていたのだ。かぎ慣れた女のにおいが鼻を襲ったと仁右衛門は思った。「四つ足めが」

叫びとともに彼は疎藪の中に飛びこんだ。とげとげする触感が、寝る時のほか脱いだことのないわらじの底に二足三足感じられたと思うと、四足目は軟かいむっちりした肉体を踏みつけた。彼は思わずその足の力をぬこうとしたが、同時に凶暴な衝動にかられて、満身の重みをそれに託した。

 「痛い」

それが聞きたかったのだ。彼の肉体は一度に油をそそぎかけられて、そそり立つ血のきおいに目がくるめいた。彼はいきなり女に飛びかかって、所きらわずなぐったり足蹴にしたりした。女は痛いと言いつづけながらも彼にからまりついた。そしてかみついた。彼はとうとう女を抱きすくめて道路に出た。女は彼の顔に鋭く延びた爪をたてて逃れようとした。二人はいがみ合う犬のように組み合って倒れた。倒れながら争った。彼はとうとう女を取り逃がした。はね起きて追いにかかると、一目散に逃げたと思った女は、反対に抱きついてきた。二人は互いに情に堪えかねてまたなぐったりひっかいたりした。彼は女のちぶさをつかんで道の上をずるずる引っぱっていった。集会所に来た時は二人とも傷だらけになっていた。有頂天になった女は一塊の火の肉となって、ぶるぶる震えながら床の上にぶっ倒れていた。彼は闇の中に突っ立ちながら焼くような興奮のためによろめいた。

 

 この移動労働者の小作人は農場主との階級対立によって凶暴化していく。血の濃い社会から生じるものではない。有島の暴力的な鼻つまみ者は一九五〇年代のマーロン・ブランドである。『欲望という名の電車』や『革命児サパタ』、『乱暴者』、『波止場』において、傍若無人なふてぶてしさ、不明瞭な発音、ラフな身なり、むせかえるような男臭さ、抑えきれない性的欲望、爆発する感情によって野性味に満ちた迫力ある演技を見せている。彼は封建制と近代の衝突ではなく、階級や世代対立の中で生きる若者を演じている。「肉体──それは今世紀の最も重要な発見である。二十世紀は自分の肉体を自ら示すことを決意した世紀である」(モーリス・ベジャール『自伝──他者の人生の中での一瞬』)。また、メソッド演技の天才は、海洋史上最も有名な反乱事件を描いた『戦艦バウンティ』の中で、館長ウィリアム・ブライの横暴さに不満を募らせた水夫たちに信頼されて、リーダーとなる副長フレッチャー・クリスチャンに扮している。有島の主人公も、同様に、和解の余地がない対立への不満から暴力とエロティシズムによってタブーを破る。それは、止揚される見込みのない階級闘争や世代間葛藤において、やむにやまれない。有島はイドの破壊力とその危険性を熟知している。自我は超自我の管理に抵抗し、次第に、イドに隣接していく。超自我の締めつけが厳しくなるほど、自我はイドに助けを求める。強く圧縮されれば、その開放も爆発的になる。有島自身は、『小さき者へ』において、自分の子供に「お前たちは遠慮なく私を踏み台にして、高い遠い所に私を乗り越えていかなければ間違っているのだ」と言い、そのうちの一人行光は森雅之として俳優になり、豊田次郎監督の『或る女』(一九五四)で倉地を演じている。

 

I'll never be your beast of burden

My back is broad but it's a hurting

All I want is for you to make love to me

I'll never be your beast of burden

I've walked for miles my feet are hurting

All I want is for you to make love to me

 

Am I hard enough

Am I rough enough

Am I rich enough

I'm not too blind to see

 

I'll never be your beast of burden

So let's go home and draw the curtains

Music on the radio

Come on baby make sweet love to me

 

Am I hard enough

Am I rough enough

Am I rich enough

I'm not too blind to see

 

Oh little sister

Pretty, pretty, pretty, pretty, girl

You're a pretty, pretty, pretty, pretty, pretty, pretty girl

Pretty, pretty

Such a pretty, pretty, pretty girl

Come on baby please, please, please

 

I'll tell ya

You can put me out

On the street

Put me out

With no shoes on my feet

But, put me out, put me out

Put me out of misery

 

Yeah, all your sickness

I can suck it up

Throw it all at me

I can shrug it off

There's one thing baby

That I don't understand

You keep on telling me

I ain't your kind of man

 

Ain't I rough enough, ooh baby

Ain't I tough enough

Ain't I rich enough, in love enough

Ooh! Ooh! Please

 

I'll never be your beast of burden

I'll never be your beast of burden

Never, never, never, never, never, never, never be

 

I'll never be your beast of burden

I've walked for miles and my feet are hurting

All I want is you to make love to me

 

I don't need beast of burden

I need no fussing

I need no nursing

Never, never, never, never, never, never, never be

(The Rolling Stones “Beast of Burden”)

 

有島の構成力は聖書に依拠している。『或る女』には、聖書からの影響により、比喩的な表現が極めて多く、それはほかの作品との関連をイメージさせる。「キリスト者の心は十字架の真中にあるとき薔薇の花に向かう」(マルティン・ルター)。『或る女』は出エジプトの物語にその構成を負っている。葉子の親戚は圧迫者のエジプト人であり、アメリカは約束の地カナンである。「かくてアメリカは未来の地である」(GWF・ヘーゲル『歴史哲学』)。けれども、葉子は、モーゼと違い、自らの意志によって約束の地に足を踏み入れず、その船同様、時代という迷宮を彷徨い続けることを選ぶ。航海中には、特定の太陽時に限定されず、航法により、時計を度々グリニッジ平均時にあわせなければならない。有島は神を讃えるために聖書をモチーフにするのではなく、暴力とエロティシズムの傾向が示している通り、キリスト教批判、すなわち神殺しとしてそのリファレンスを展開している。

フリードリヒ・ニーチェは、『悦ばしき知識』一二五において、「神の殺害者」についての譬話を語っている。

 

狂気の人間。──諸君はあの狂気の人間のことを耳にしなかったか、──白昼に堤燈をつけながら、市場へ馳けてきて、ひっきりなしに「おれは神を探している! おれは神を探している!」と叫んだ人間のことを。──市場には折しも、神を信じないひとびとが大勢群がっていたので、たちまち彼はひどい物笑いの種になった。「神さまが行方知れずになったというのか?」とある者は言った。「神さまが子供のように迷子になったのか?」と他の者は言った。「それとも神さまは隠れん坊したのか? 神さまはおれたちが怖くなったのか? 神さまは船で出かけたのか? 移住ときめこんだのか?」──彼らはがやがやわめき立てて嘲笑した。狂気の人間は彼らの中にとびこみ、孔のあくほどひとりびとりを睨みつけた。「神がどこへ行ったかって?」と彼は叫んだ。「おれがお前たちに言ってやる! おれたちが神を殺したのだ──お前たちとおれがだ! おれたちはみな神の殺害者なのだ!(略)これよりも偉大な所業はいまだかつてなかった──そしておれたちのあとに生まれてくるかぎりの者たちは、この所業のおかげで、これまであったどんな歴史よりも一段と高い歴史に踏み込むのだ!」──ここで狂気の人間は口をつぐみ、あらためて聴衆を見やった。聴衆も押し黙り、訝しげに彼を眺めた。ついに彼は手にした提燈を地面に投げつけたので、提燈はばらばらに砕け、灯が消えた。「おれは早く来すぎた」、と彼は言った。「まだおれの来る時ではなかった。この恐るべき出来事はなおまだ途中にぐずついている──それはまだ人間どもの耳には達していないのだ。電光と雷鳴には時が要る、星の光も時を要する、所業とてそれがなされた後でさえ人に見られ聞かれるまでには時を要する。この所業は、人間どもにとって、極遠の星よりもさらに遥かに遠いものだ──にもかかわらず彼らはこの所業をやってしまったのだ!」──なおひとびとの話ではその同じ日に狂気の人間はあちこちの教会に押し入り、そこで彼の「神の永遠鎮魂弥撒曲(Requiem aeternam deo)」を歌った、ということだ。教会から連れだされて難詰されると、彼はただただこう口答えするだけだったそうだ──「これら教会は、神の墓穴にして墓碑でないとしたら、一体なんなのだ?」

 

 有島は反キリスト者であり、まさに「神の殺害者」である。彼には棄教するだけでは不十分であって、神を殺し、キリスト教の倒錯した意識を転倒しなければならない。有島の小説には、日本御自然主義文学と違い、家制度や伝統的な村落共同体の問題が描かれることはない。彼がつねに問い続けたのはキリスト教である。札幌農学校で入信した際、有島が受容したのはピューリタニズムである。彼は、中でも、霊と肉の葛藤という対立からキリスト教を把握している。その対立が和解することなどありえない。性は触れてはならないタブーである。自我はイドの誘惑にのることなく、超自我の指導に従っていればよい。有島の小説はピューリタン文学であり、彼のキリスト教に対する企ては性的な問題を通じて実施される。有島は、近代のイデオロギーに忠実であるため、神を殺害しなければならなかい。

 

you built me up with your wishing hell

I didn't have to sell you

you threw your money in the pissing well

you do just what they tell you

REPENT, that's what I'm talking about

i shed the skin to feed the fake

REPENT, that's what I'm talking about

whose mistake am i anyway?

Cut the head off

Grows back hard

I am the hydra

now you'll see your star

prick your finger it is done

the moon has now eclipsed the sun

the angel has spread its wings

the time has come for bitter things

[chorus]

 

the time has come it is quite clear

our antichrist

is almost here...

it is done

(Marilyn Manson “Antichrist Superstar”)

 

 葉子は、『或る女』の中で、こうした時代に対する違和感を次のように吐露している。

 

自分はどうしても生まるべきでない時代に、生まるべきでないところに生まれて来たのだ。自分の生まるべき時代とところはどこか別にある。そこでは自分は女王の座になおっても恥ずかしくないほどの力を持つことが出来るはずなのだ。生きているうちにそこを探し出したい。

 

有島は、一九一九年九月五日黒沢良平宛書簡の中で、『或る女』について「自覚しかけて、しかし自分にも方向がわからず、社会はその人をいかにとりあつかうべきかも知らない時代に生まれ出たひとりの勝気な鋭敏な急進的な女性をえがいてみたかった」と語っていたが、その作品に限らず、神の死に直面し、フリードリヒ・ニーチェが『ツァラトゥストゥラはかく語りき』の中で「獅子」に譬えた既存の価値の破壊者を描いている。

 

自由を手にいれ、なすべしという義務にさえ、神聖な否定をあえてすること、わが兄弟たちよ、このためには獅子が必要なのだ。

新しい価値を築くための権利を獲得すること──これは辛抱づよい、畏敬をむねとする精神にとっては、思いもよらぬ恐ろしい行為である。まことに、それはかれには強奪にもひとしく、それならば強奪を常とする猛獣のすることだ。

精神はかつては「汝なすべし」を自分の最も神聖なものとして愛した。いま精神はこの最も神聖なものも、妄想と恣意の産物にすぎぬと見ざるをえない。こうしてかれはその愛していたものからの自由を奪取するにいたる。この奪取のために獅子が必要なのである。

 

 近代以前、「汝なすべし」という「義務」を「駱駝」のように従順に守るのが美徳とされていたが、近代では、「獅子」としてそれを破壊する「権利」を獲得する。新たな価値を生み出すために、既存の価値を叩き壊さなければならない。サイクルは圧縮から開放へと転じる。こうした「獅子」をシモーヌ・ド・ボーヴォワールは「ロマネスク」としてフェミニズムの文脈で評価している。

この古典的フェミニストは、『第二の性』において、スタンダールの『赤と黒』の登場人物マチルドを例にとり、ロマネスクについて次のように語っている。

 

 破滅するよりわが身を守るほうが、あるいは愛する人に抵抗するより屈服するほうが、高慢だろうか、偉大だろうか。彼女もまた疑念のただなかにたった一人で、命より大切なプライドを賭ける。無知、偏見、欺瞞の闇をつきぬけ、ゆらめく熱い情熱の光のなかに本当の生きる理由を熱烈に探求すること、幸福か死か、栄誉か屈辱かという果てしない賭けに身をさらすこと、それこそが、女の生涯にロマネスクな栄光を授けるのである。(略)マチルド・ド・ラ・モルが魅力的なのは、演じているうちに訳がわからなくなり、自分の心を制御しているつもりが、たいていはその餌食になっているからである。

 

 ロマネスクは、男性中心主義の社会において、「余計者」や「他所者」としての「他者」、すなわち強いられた俳優であるけれども、いつの間にか超自我に反抗し、イドに近づいてしまう自我である。それは爆発的なエネルギーを放出し、周囲だけでなく、自分までも破壊に導く。強烈な火力は豊富な蒸気を生み出し、大きな仕事を可能にする。ロマネスクは、アルベール・チボーデが『ロマネスクの美学』の中で「明日何が起こるか、今日のうちにわかってしまったら、明日まで生きている楽しみが半減してしまう」と言ういささか冒険主義じみた精神であるが、ボーヴォワールによれば、むしろ、だからこそ「偉大なロマネスク」を求めなければならない。「詩が挫折から生まれるように、ロマネスクは過誤からほとばしる」。

葉子は、『或る女』において、自分が生きている時代での女性の地位について、次のように把握している。

 

葉子の嘗めたすべての経験は、男に束縛を受ける危険を思わせるものばかりだった。しかし何という自然の悪戯だろう。それとともに葉子は、男というものなしには一刻も過されないものとなっていた。砒石の用法を謬った患者が、その毒の恐ろしさを知りぬきながら、その力を借りなければ生きて行けないように、葉子は生の喜びの源を、まかり違えば、生そのものを蝕むべき男というものに、求めずにはいられないディレンマに陥ってしまったのだ。

 

近代社会では、有島によると、「何物も男性から奪われた女性は男性に対してその存在を認めらるるために」、「生殖に必要である以上の淫欲の誘引」によって男性と戦わなければならないが、女性には「男子に対する純真の愛着」があって、「この二つの矛盾した本能が上になり下になり相剋しているのが今の女性の悲しい運命です。私はそれを見ると心が痛みます。『或女』はかくて生まれたのです」(一九一九年一〇月一九日石坂養平宛書簡)。ギー・ド・モーパッサンの『女の一生』やヘンリック・イプセンの『人形の家』など女性の自立をテーマにした作品も多いように、神の死が女性を文学の表舞台に登場させている。さらに、マーク・トゥエインが一九世紀の「ふたりの偉人」の一人として絶賛したヘレン・ケラーが、『わたしの生涯』において、「文学は私のユートピアである」と記した一九世紀には、女性作家が多く登場している。メアリー・シェリー、エミリーとシャーロットのブロンテ姉妹、ルイーザ・メイ・オールコット、ジェイン・オースティン、ハリエット・ビーチャー・ストウ、マーガレット・ミッチェルなど彼女たちは非常に豊かな構成力を発揮している。しかし、女性の社会との闘争は大団円を迎えるとは限らない。葉子に対する儀式的迫害は春ではなく、実りのない冬を迎える準備である。ヒロイズムとアイロニーの中間にいる犠牲者を苦しめ、救済が主題ではあるものの、作品はそのパロディとエレジーを体現する。

 

Woman is the nigger of the world

Yes she is... think about it

Woman is the nigger of the world

Think about it... do something about it

 

We make her paint her face and dance

If she won't be a slave, we say that she don't love us

If she's real, we say she's trying to be a man

While putting her down we pretend that she's above us

 

Woman is the nigger of the world.. yes she is

If you don't believe me, take a look at the one you're with

Woman is the slave of the slaves

Ah, yeh... better scream about it

 

We make her bear and raise our children

And then we leave her flat for being a fat old mother hen

We tell her home is the only place she should be

Then we complain that she's too unworldly to be our friend

 

Woman is the nigger of the world... yes she is

If you don't believe me, take a look at the one you're with

Woman is the slave to the slaves

Yeh (think about it)

 

We insult her every day on TV

And wonder why she has no guts or confidence

When she's young, we kill her will to be free

While telling her not to be so smart

We put her down for being so dumb

 

Woman is the nigger of the world

Yes she is...

If you don't believe me, take a look at the one you're with

Woman is the slave to the slaves

Yes, she is...

If you believe me, you better scream about it

 

We make her paint her face and dance

We make her paint her face and dance

We make her paint her face and dance

(John Lennon & Yoko Ono “Woman Is the Nigger of the World”)

 

 ロマネスクである葉子は、自らの役割を自覚して、力を求めている。彼女が、「取り所のない平凡な気の弱い精力の足りない男に過ぎなかった」木部に惹かれて結婚するが、それは「殊に日清戦役という、その当時の日本にしては絶大な背景を背負っている」からである。木部は近代日本における最初の父殺しの観察者であり、彼女は歴史のエネルギーに恋したのである。木部は男として葉子を確実に占領したと感じたときから、高圧的に振舞うと同時に、それまで見せなかった女々しさを露呈し、彼女は幻滅する。

その後、このロマネスクが木村を選ぶのは、次のような理由からである。

 

これから行こうとする米国という土地の生活も葉子はひとりでに色々と想像しないではいられなかった。米国の人達はどんな風に自分を迎え入れようとはするだろう。とにかく今までの狭い悩ましい過去と縁を切って、何の関わりもない社会の中に乗り込むのは面白い。和服よりも遥かに洋服に適した葉子は、そこの交際社会でも風俗でも米国人を笑わせない事が出来る。歓楽でも哀愁でもしっくりと実生活の中に織り込まれているような生活がそこにはあるに違いない。女のチャームというものが、習慣的な絆から解き放されて、その力だけに働く事の出来る生活がそこにはあるに違いない。才能と力量さえあれは女でも男の手を借りずに自分を周りの人に認めさす事の出来る生活がそこにはあるに違いない。女でも胸を張って存分呼吸の出来る生活がそこにはあるに違いない。少なくとも交際社会のどこかではそんな生活が女に許されているに違いない。葉子はそんなことを空想するとむずむずする程快活になった。(略)

木村を良人とするのに何んの屈託があろう。木村が自分の良人であるのは、自分が木村の妻であるという程に軽い事だ。木村という仮面……葉子は鏡を見ながらそう思って微笑んだ。

 

木村を「米国」という優越とした場所に住んでいるという理由で、葉子は選択している。葉子が選ぶ男は自分より優越していると感じられるものたちである。彼女はそれを自らを映す「鏡」として考えている。「人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである。人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、はじめて人間としての自分自身に関係するのである」(カール・マルクス『資本論』)

 ところが、葉子は、同じ理由ながら、倉地に対しては先の二人とは少々違う反応を示している。倉地は木村ほど軽くない。

彼女は、『或る女』の中で、倉地も、「自分と同様に間違って境遇づけられて生れて来た人間」だと次のように思っている。

 

世が世ならば、倉地は小さな汽船の事務長なんぞをしている男ではない。自分と同様に間違って境遇づけられて生れて来た人間なのだ。葉子は自分の身につまされて倉地を憐れみもし畏それもした。今まで誰の前に出ても平気で自分の思う存分を振舞っていた葉子は、この男の前では思わず知らず心にもない矯飾を自分の性格の上にまで加えた。事務長の前では、葉子は不思議にも自分の思っているのと丁度反対の動作をしていた。無条件的な服従という事も事務長に対してだけ唯望ましい事にばかり思えた。この人に思う存分打ちのめされたら、自分の命は始めて本当に燃え上がるのだ。こんな不思議な、葉子には有り得ない欲望すらが少しも不思議でなく受け入れられていた。

 

葉子は自己の探求として、倉地を選んでいる。それは、むしろ、彼女自身が反発してきたピューリタニズム的である。倉知は葉子の自己を映す鏡であり、鏡が壊れたとき、彼女は自己を失う。ピューリタンは自己の外部への無限の拡大が挫折し、収まりきれなくなった自己を内的に処理しなければならないという精神状況に置かれる。ロバート・バートンが『メランコリーの解剖』で書いているように、それは「メランコリー」である。メランコリーは自己基盤の喪失感であり、自己を意識によって操作し得る対象とした結果生ずる心理的自己破綻である。帰国後の葉子の破綻が急激なのは、倉地が短期間のうちに変貌し、自己の一貫性の喪失が突然訪れたからである。倉地は事大主義者であり、去勢コンプレックスにとらわれているにすぎず、彼女にとって、ハメルンの笛吹き男ではなく、結局、カリオストロにすぎない。

『或る女』において、性はエディプス的主題である。葉子は言葉に反応するが、言葉は、人物が主体的に語るものではなく、階級や行動、態度が語らせるものである。『或る女』の主人公が女性であり、罪は痛みとして示されるように、その後編は創世記的である。「堕罪神話では好奇心、虚偽的な欺瞞、誘惑に対する弱さ、肉欲、要するに一連の女性的な情熱が災厄の根源と見做されたのである」(フリードリヒ・ニーチェ『悲劇の誕生』)。葉子はアダムとイヴの神話に譬えられる前エディプス的な口唇期の段階にある。「葉子の敵」は「母の虐げ、五十川女史の術数、近親の圧迫、社会の環視、女に対する男の覬覦、女の苟合」である。葉子にとって、母は「心の底で一番よく葉子を理解してくれ」ながら、「仇敵」であるのに対し、「父は憐れむべく影の薄い一人の男性」である。この圧縮を開放のサイクルへと転換するために、性が契機となる。葉子にとっての性的対象は、前エディプス期であるため、母親である。彼女自身が定子の母となってからも、キリスト教婦人同盟副会長の娘という意識が強い。超自我は親の権威をとりいれ、エディプス的願望を禁止する。彼女は父親からの愛情を望みながら、それが不十分であるため、自己に対する不安が「思う存分打ちのめされ」ることを願望にしてしまう。牧師の内田を最期に呼ぼうとするのは近親相姦的行為である。葉子の行動は、ジークムント・フロイトの『悲哀とメランコリー』によると、「とりいれ」と「投影」である。自己愛的自我を基本とする防衛規制がそこには働いている。陰性エディプス・コンプレックスにとらわれている彼女の愛はアナクリシスである。倉地は葉子にとって種類項であり、同一化・投影の関係にある。葉子の愛情は倉地という自分に似た対象へと向けられている。倉地は、たとえ陽性であるとしても、エディプス・コンプレックス下にあるという意味では、彼女と同じ種類である。

『或る女』は、以上の通り、一九世紀的な世界に属し、近代小説の原則を踏まえている。しかしながら、この作品が一九一九年に刊行されたという事実を忘れてはならない。一九世紀は、ウィーン体制と一八四八年革命という問題系から考察する限り、一八〇一年に始まり、一九〇〇年に終わるわけではない。一八二〇年から一九一九年と見なすべきである。一九一九年は一九世紀の最後の年であり、次の世紀の兆候があちこちに出現している。翌年から、二〇世紀を表象する「ローリング・トゥエンティーズ」が始まる。『或る女』はそれが入りこんでいるために、近代小説から逸脱してしまうのである。

 

 

 木部を有名にし、葉子と蔵地を破滅に追いこんだのは新聞である。新聞はブルジョア社会において重要な役割を果たしている。ミシェル・フーコーは、『狂気の歴史』において、一八世紀以降、西欧ではスキャンダルがブルジョアのモラルを強化する道具として使われていたと指摘する。王侯貴族は直接的な暴力によって人々を抑圧したが、ブルジョアはスキャンダルによって自分たちのモラリティへの反逆者を抑圧・排除する。「祖先のうちで奴隷でなかった者もなかったし、奴隷の祖先のうちで王でなかった者はいなかった」(ヘレン・ケラー『わたしの生涯』)。近代では、それを賞賛されるべき過去なのか非難されるべきものなのかは新聞次第である。「わたしたちはたくさんの嘘をまことしやかに話すこともできますが、しかしまたその気になれば、わたしたちは真実をも話すことができるのです」(ヘシオドス『神々の誕生』)。ブルジョア的スキャンダルの装置はメディアという噂話を変換し、伝達する機能が不可欠である。ダビデとバテシバの密通もスキャンダルであるが、それは新聞というメディアを通してユダヤ人に浸透したわけではない。ダビデが恐れたのは神であって、世間ではない。道徳は神の死により、ニヒリズムの状態に陥り、スキャンダルがブルジョアの道徳基準である。新聞は話題になり、発行部数を増やすために、スキャンダルを追い求め、ブルジョアはそれによって好奇心を満足させる。近代の道徳は新聞によって規定される。近代小説はそうしたブルジョア道徳的な新聞の三面記事やゴシップ記事の延長であり、ギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』が示している通り、スキャンダルを取りあげ、作品ならびに作者をもスキャンダルの渦に巻きこむ。

 

Eeh dah eeh dah

Ooooh, ooooh, ooooh

Scandal - now you've left me all the world's gonna know

Hey scandal, they're gonna turn our lives into a freak show

They'll see the heart-ache, they'll see our love break

They'll hear me pleading, we'll say for God's sakes

Over and over and over again

Scandal - now you've left me there's no healing the wounds

Hey scandal, and all the world can make us out to be fools

Here come the bad news, open the floodgates (oooh oooh)

They'll leave us bleeding, we say you cheapskates

(Oooh oooh)

Over and over and over again

So let them know when they stare, it's just a private affair

They'll have us hung in the air and tell me what do they care

It's only a life to be twisted and broken

They'll see the heart-ache, they'll see our love break - yeah

They'll hear me pleading, I'll say for God's sakes

Over and over and over and over again - yeah

 

Scandal, scandal

Scandal, scandal

 

Yes you're breaking my heart again

Scandal - yes it'll all and all happen again

Today the headlines, tomorrow hard times

And no-one ever really knows the truth from the lies

And in the end the story deeper must hide (oooh)

Deeper and deeper and deeper inside

Scandal, scandal

Scandal, scandal

(Queen “Scandal”)

 

 一八四六年、ニューヨーク市の印刷機械製造業者リチャード・ホウが蒸気式輪転印刷機を発明し、『フィラデルフィア・レッジャー』が最初に使用する。その後、『ロンドン・タイムス』が使用したのをきっかけにして、世界中の新聞社が導入していく。新聞は大量の部数を従来にはないスピードで印刷され、さらに、一八六八年にクリストファー・ショールスが発明したタイプライターが速度を上げる。

新聞における産業革命は各新聞の間で激しい販売競争を引き起こし、低所得者向けの新聞は「イエロー・ジャーナリズム(Yellow Journalism)」とスキャンダラスに呼ばれるようになる。イエロー・ジャーナリズムは『ワールド』と『ジャーナル』の両紙の日曜版で、諷刺漫画「黄色い子供(The Yellow Kid)」を連載していたことに由来する。ジョセフ・ピューリッツァは、一八八三年、『ワールド』を買収し、ニューヨークに進出する。このハンガリー移民は民衆向けの紙面制作を方針として打ち出し、二万部だった『ワールド』を、一八九二年には、三七万四〇〇〇部のニューヨーク最大の新聞に成長させる。記事には、政治・経済だけでなく、犯罪や災害、スキャンダル、ゴシップ、性、スポーツ、(アメリカで軽蔑されないための)マナーもとりあげている。日曜版や夕刊も開始し、それも読者からの評判はすこぶるよかったが、それに満足せず、若き新聞王は本業以外の事業やイベントを主催して、発行部数の拡大を試みている。見出しを大きくしたり、色刷りを用いたり、写真をふんだんに盛りこみ、たいしたことのない事件・出来事を歪曲・誇張し、思わせ振りにして、誤解されかねない記事に仕上げさせている。今日のタブロイド紙の手法の原形がここにある。一方、一八九五年、サンフランシスコの新聞経営者ウィリアム・ランドルフ・ハーストは『ニューヨーク・ジャーナル』を買収し、徹底的な打倒『ワールド』をスローガンに掲げる。この野心的な男はとにかく煽動的な紙面制作を行ったが、それは、明らかに、やりすぎている。『市民ケーン』のモデルは、ニューヨーク新聞界で独占的地位を占めていた『ワールド』日曜版の編集員すべてをひっこぬき、『ジャーナル』日曜版を発行する。「黄色い子供」を描いていた漫画家リチャード・F・アウトコールト(Richard F. Outcault)もヘッド・ハンティングされたので、『ワールド』はジョージ・B・ルックス(George B. Luks)を雇って、同じタイトルの漫画を掲載し続ける。「黄色い子供」は黄色の服を着て、歯のぬけたマヌケな子供がニューヨークの各地に出没するという社会諷刺漫画である。ところが、イエロー・ジャーナリズムはありもしない騒動と疑惑をでっち上げ、キューバをめぐる米西戦争を煽ってしまう。それは愛国心からの暴走ではなく、ただ発行部数を増やすためである。新聞はスキャンダルを生み出すと同時にスキャンダルにまみれていく。「首なし美人死体」というリードがこんなイエロー・ジャーナリズムを象徴的に言表する。

有島は『リビングストン伝』(一九〇一)を書いているが、デヴィッド・リヴィングストンはアメリカのイエロー・ジャーナリズムにおける最重要トピックである。『ニューヨーク・ヘラルド』の所有者ジェームズ・ゴードン・ベネット・ジュニアは、新聞の目的は「教育することではなく、驚かすことだ」と宣言し、「いかなる選挙も、また大統領から警官に至るどんな候補者も、われわれの関知するところではない」と広言してはばからない男である。その父ジェームズ・ゴードン・ベネットも、第七代合衆国大統領アンドリュー・ジャクソンが発表した銀行の保護・規制を撤廃する政策に徹底的に反対した合衆国第二銀行の頭取ニコラス・ビドルから、工作資金を受けとるようなジャーナリストである。ジャーナリズムは、近代に発展した通り、アイロニー様式に属しているので、基本的に、悪いニュースを伝える。ところが、『ニューヨーク・ヘラルド』は公的問題はほとんど扱わず、一九世紀の成金の大邸宅の並ぶロード・アイランド州ニューポートの行事や不行跡をお得意としている。ブルジョアは優越感を誇示することを望むため、賭博の市リヴィエラは大盛況であり、そこでは富豪はいくら儲けたかではなく、どれだけ損をしたかを競いあう。大損すればするほど、自分の財産はその程度ではゆるがないほどあることを示すことになり、優越感を味わえるというわけだ。彼らの「顕示的消費」をこっぴどくやっつけたソースタイン・ウェブレンの『有閑階級の理論』は、ヘンリー・ジョージの『進歩と貧困』と並んで、一九世紀末の最も優れた社会評論であろう。そんな金持ちの記事が飽きられ始めたと感じたベネットはヘンリー・スタンリーをアフリカへ送りこみ、リヴィングストンの行方を追わせる。冒険は土着と放浪の相剋・開拓であり、一九世紀の英雄にふさわしい。スタンリーが移動しつつ送ってくる記事はベネットの予想を上回る盛況ぶりとなる。スタンリーによるリヴィングストンの発見は、”Dr. Livingston, I presume?”の挨拶と共に、腹黒いスキャンダルを覆い隠し、少なくとも当時はジャーナリズムの伝説と化す。

 一九〇〇年くらいから、政界の腐敗や独占企業の横暴、社会問題などのスキャンダルを暴き、革新主義運動を促進する世論形成に貢献した作家やジャーナリストが登場する。有島が渡米したころ、アメリカの独占資本の方法は巧妙になっている。彼は、ワールド・シリーズが始まった一九〇三年から一九〇七年まで、アメリカとイギリスで生活する。一九〇〇年からの二〇年間、現在のアメリカの根幹になるようなものが形成されている。民主党=共和党による二大政党制が定着し始めるのもこの時期である。経済でも、産業資本の直接的な資本の独占に代わり、金融資本による間接的な資本の集中に移行している。ジョン・ムーディは、一九〇四年に発表した『トラストの真相』において、マーク・トゥエインが「金箔時代」と皮肉った一九世紀後半のアメリカの独占資本を分析し、銀行家の運輸を含めた産業に対する支配力がどれだけ強大かを示している。産業資本の独占集中は銀行業の集中によって助長される。融資により、銀行家はほかの産業で莫大な利益を得る機会を手に入れる。彼らは会社に金を貸しつけ、買収・合併を補助し、証券の売り出しにも関係している。融資した会社の利害関係にも口を出し、銀行の重役が各産業が管理するトラストの取締役会の一員になる。銀行活動を通じて、産業の支配権はアンドリュー・カーネギーなどの産業資本家からジョン・ピーアポンド・モルガンのような金融資本家である銀行家の手に渡っていく。「モルガン家の物語は、まさにアメリカのビジネス成功談そのものである。モルガンは天然資源や大衆需要の開発によって巨富を得たとはいえないからだ。モルガン家の富の増大は、アメリカの成長と並行している」(EP・ホイト・ジュニア『巨大企業の影の支配者 モルガン』)。モルガン商会は、合衆国史上初の一〇億ドル会社だったが、一九〇一年、カーネギー鉄鋼会社を初め、多くの企業を合併して、一世紀前の国家予算以上の資本金一四億ドルのUSスチールを設立する。この巨大企業は合衆国の鉄鋼製品の三分の二を生産するほどの規模を持っている。独立から一〇〇年も経ったころ、合衆国にも産業革命の波が押し寄せる。従来、紳士協定が一般的な独占形態だったけれども、一八八〇年代には消滅し、ロックフェラーが最初につくったトラスト形式が主流になったものの、一八九〇年代に入ると、違法となったため、持株会社形式へと移行する。「棍棒外交」と「ボス政治の廃止」を目標に掲げて、セオドア・ローズヴェルトが合衆国大統領になったとき、彼は久しぶりに高等教育を受けた大統領として民衆から歓迎される。一九世紀後半、市民の間では、なぜアメリカには有能な政治家が生まれないのかというテーマの書籍がよく刊行されている。「テディ・ベア」は、民衆の期待に応えて、反トラスト政策を実施したが、一九〇五年と〇七年の二度に渡って、裏ではモルガン商会と紳士協定を結んでいる。後にウッドロー・ウィルソン大統領は、学者らしく、「この国の巨大な独占体というのは金融独占体のことだ」と批判している。ハーバード・スペンサー流の自然淘汰説が支配的なこの時期、貧富の差が想像を絶するほど拡大し、独占資本は巨大になったけれども、政府から所得税を課せられていない。社会ダーウィン主義者のイェール大学教授ウィリアム・グレアム・サムナーがこの現状に正当性を与えている。弱肉強食のアメリカをつくったのは鉄道であり、それを食い物にしたならず者たちは残らず金持ちになっている。鉄道はペテンであり、盗みである。彼らは政治家も司法関係者も金で買い、仲間われを繰り返し、成り上がる。ジョン・D・ロックフェラー、アンドリュー・カーネギー、JP・モルガン、ソロモン・R・グッゲンハイム、アンドリュー・W・メロン、コーネリュースとウィリアム・ヘンリーのヴァンダービルト親子、みんな同じ穴のムジナだ。貧乏人はバーナード・ショウの創造した愛すべきアルフレッド・ドリーットルのようになりかねない。さすがに、トラスト解体による規制と自由競争の復活、労働者の保護が試みられ、一八八六年に、熟練労働者の穏健な職業別労働組合アメリカ労働総同盟、一九〇三年には、未熟練労働者が中心になってサンディカリズム的傾向の強い世界産業労働者同盟が結成される。民衆も泣き寝入りするだけではない。この偽善と不正がまかり通っている社会に対し、スキャンダルを暴くことで、世間を覚醒させ、社会改革を促そうとするやる気満々の書き手が活動し始める。一九〇六年四月一四日の公開講演において、セオドア・ローズヴェルトは、社会の醜さだけを暴露し、建設的な意見に欠けていると彼らを「マックレーカーズ(Muckrakers)」と侮蔑する。マックレーカーは、ジョン・バンヤンが『天路歴程』の中で描いた人物であり、床のゴミを熊手でかき集めるのに忙しくて下ばかり向いている男を意味する。マックレーカーズは、当時出版され始めた通俗雑誌を主に活躍の場としている。製紙の原料に木材パルプが使用され、写真版が利用されたことにより、一部一〇セントから一五セントの労働者にも購入できる安価な雑誌が販売できるようになる。一九〇二年創刊の『マックルア』誌上、リンカーン・ステフェンスが「セントルイスにおけるトゥィードの時代」によりセントルイスの市政の腐敗を暴露し、アイダ・ターベルは「スタンダード石油会社の歴史」において独占資本の真相を紹介する。トゥイードとは、ニューヨーク市の民主党の政治機関であるタマニー・ホールを通じて、公金一億ドル以上を不正に支出させた政治ボスのウィリアム・トゥイードのことである。三〇〇万ドルしかかからなかった裁判所の建築費を一一〇〇万ドルに水増しして、ニューヨーク市に請求し、その差額をタマニー・ホールがピンはねしたのである。『ニューヨーク・タイムズ』がこの横領をすっぱぬき、ステフェンスは、連載記事をまとめて本にした『都市の恥』の序文の中で、「収賄と無法の精神がアメリカの精神である」と弾劾する。ほかにも、レイ・ベーカーが鉄道の独占、バートン・ケンドリックは生命保険の不正、トーマス・ローソンもアマルガメーテッド銅会社の内幕を暴いている。フランク・ノリスは鉄道の集中の弊害を示し、セオドア・ドライサーは独占資本・金融資本を攻撃する。中でも、最も有名なのがアプトン・シンクレアの『ジャングル』であろう。シカゴ食肉工場の不衛生と労働者の悲惨な生活を描いたこの作品は大きな反響を呼び、議会で純良食品法が可決される。文学的な価値はともかく、マックレーカーズは民衆による社会改革運動を浸透させている。都市の目的は安価な品物を大量に生産することであり、すべてはそのために犠牲にされていたというわけだ。一九二一年ごろにはアメリカのマックレーカーズ運動は下火になったけれども、ローリング・トゥエンティーズ以降の出版ブームで読まれるようになった日本のプロレタリア文学がマックレーカーズとして登場している。

 アメリカで、第一次世界大戦後の経済的繁栄の上に、消費的な都市文化、「ローリング・トゥエンティーズ」が開化する。「人々は生きるためにこの都会へ集まってくるらしい。しかし、僕は、むしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ」(ライナー・マリア・リルケ『マルテの手記』)。遅れてきた移民が増加した結果、アメリカがイギリス的ではなくなり、ピューリタニズムが攻撃の対象となる。一九二〇年から施行した禁酒法はピューリタニズムの成果であるが、その反ピューリタニズムによって大衆が形成される。彼らはブルジョアでも、プロレタリアートでもない。大量生産された商品を大量消費する存在である。一九世紀は神が死んだ時代だったが、二〇世紀に入ると、神の死は決定不能に陥る。大衆はすべてを商品として消費する。神さえも例外ではない。大衆は商業主義をもたらしたのだ。神を商品にするには、その生死が決定不能になっていなければならない。ブルジョアの時代は生産の倫理だったのに対し、大衆の時代は消費の倫理が支配的になる。消費を拡大するために、購買力を落とす失業が社会問題化する下地ができあがる。ジャズの中心地がニューオリンズからシカゴに移り、発明されたばかりのレコードがジャズを売り始め、ルイ・アームストロングによって、デキシーランドやホンキートンクからスイングになったジャズは最初の頂点を迎え、最初の大衆音楽となり、「ジャズ・エイジ」を二〇年代の別名にする。第一次世界大戦後からほぼ一九二九年の大恐慌までの時代において、旧制度は崩壊し、自動車から真空掃除機に至る都市生活の環境が揃い、新しい風俗や文化がつくられる。現在の都市生活のスタイルはこの時代を原形にしている。大型汽船や豪華列車、自動車、飛行機などの交通機関の発達も目覚ましく、観光旅行が盛んになる。一九二二年、ラジオの野球中継が始まり、電信に代わって、ベーブ・ルースの活躍は全米に伝えられる。“The Rolling 20’s Gathers the Masses”.

 

New York City you’re a woman

Cold-hearted bitch ought to be your name

Oh you ain't never loved nobody

Yet I’m drawn to you like a moth to flame

Oh I have suckled you in my sorrow

And I have sinned with you in my shame

But you ain't never even seen me

New York City, I’m tryin’ to beat your game

 

Oh and I rise up, Lord, and I fall down

It’s all in the merit of my ways

Don't you dare try & stop me now

I am settled right here in your haze

and I am stuck here now in the final phase

 

Now don't you send me to the country

Cause I ain't ready to concede

I will tell you when I’m ready

And I will call to you from down on my knees

Oh I might be standing but

I’ll be down on my knees

 

New York City you’re a woman

Cold-hearted bitch ought to be your name

Oh you ain't never loved nobody

Still I’m drawn to you like a moth to flame

And I guess that it’s silly

To think you’ll ever change

 

New York City

You're everything my heart & soul inside

New York City

Oh I’m stuck here - stuck inside of

New York City

I been with ya up & I been with ya down

New York City

I cant get myself outa this town

New York City

I feel it inside me every day of my life

New York City

I cant break loose - It’s all over me

New York City

You’re a part of my life in every which way

New York City

Everything I ever meant - everything I say

New York City

I cant break loose

(Al Kooper “New York City(You’re A Woman)”)

 

 ヨーロッパにおいても、パリやベルリン、ロンドンなどで都市文化が繁栄する。「レザネ・フォール」のパリには、ロシア革命によって亡命してきたロシア人と禁酒法から逃れてきたアメリカ人が溢れている。セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュッスはパリ・ファッション界に刺激を与え、アーネスト・ヘミングウェイやスコット・フィッツジェラルドなどのロスト・ジェネレーションの作家、ジョージ・ガーシュインやコール・ポーター、マン・レイといったパリのアメリカ人たちがヨーロッパにカクテルやジャズに代表されるアメリカ文化を持ちこんでいる。逆に、フランスで学んだ建築家たちはニューヨークやロサンゼルスに巨大なアール・デコ様式の摩天楼を建築する。また、「ゴルデネ・ツワンツィガー・ヤーレ」のベルリンでは夜の都市としてのベルリンを代表するキャバレー文化が栄え、演劇や映画、写真などの前衛的な芸術が次々に出現している。

 この一〇年は世界的な規模で各都市が同時代的に交流しあい、日本の都市も例外ではない。一九二二年に発表されたポール・モーランの『夜ひらく』を堀口大學がその年のうちに翻訳したことは、日本近代文学史上、画期的な出来事である。と言うのも、日本近代文学は明治維新以来、初めて、西洋との同時代性を獲得したからである。ブルジョアの世紀においては、たとえ各地でブルジョア社会を形成していたとしても、それぞれお互いに同時代性を獲得できていない。だが、今や電話やラジオといった即時性の強いメディアの時代である。上海を通じて、日本にもジャズやバレエ、写真などが入ってくる。東京では、銀座や浅草を中心に新たな都市文化が登場し、ショーウィンドー、イルミネーション、エレベーター、デパート、アパート、映画館が都市の生活環境として整っていく。有島が一九一八年に執筆した『生れ出づる悩み』にも、地方都市に漁業会社やデパートなどが進出し、独立系の小企業を浸蝕していく光景を描いている。一九二〇年一〇月、最初の国勢調査が実施され、都市の人口増加が統計的に示される。その実態に対応するために、ガラス戸に赤瓦屋根、応接間のある洋風な文化住宅が郊外に建築される。「人が群衆の中にいると喜びを感じるのは、人間が数の増大を好む神秘的なあらわれだ」(シャルル・ボードレール)。二二年三月に、平和記念東京博覧会が上野で開催され、場内の「文化村」に洋風住宅「文化住宅」を展示して人気を集め、会期中に、入場者一一〇三万人を数える。二五年に、ラジオ放送が試験的に開始し、翌年、NHKが設立される。同年、朝日新聞が訪欧飛行の計画を発表する。飛行機は冒険者の乗り物でしかなく、飛行船が空の交通機関を実感させている。二四年、全国中等学校野球大会が阪神甲子園球場で、二六年には、東京六大学野球が神宮球場で開催される。二五年、大日本雄弁会講談社が、「日本一面白くて為になる」雑誌界のキングを目指して、発行した大衆誌『キング』の創刊号は、七七万部を超える。これは当時としては信じられない発行部数であり、以後の大衆雑誌・少年少女雑誌流行のきっかけになっている。二六年から二七年の出版ブームにおいて、大衆に、円本や文庫本が、日本文学全集から世界文学全集、世界思想全集に渡って大量に読まれている。一部の特権的な教育を受けたもの、あるいは富裕な読者人階層以外には読むことができなかったものが誰でも読めるようになる。プロレタリア文学の読者層は労働者以上に、大衆である。大衆は同時代性によって構成された抽象的存在である。作家は彼らに向けて、映画や劇場、ラジオ、ジャズ、広告といった活字以外の領域の感覚を活字化する。文学者や知識人の課題は、どのような文脈にあったとしても、大衆の支持をいかに得るかということに要約される。「だから世論は、尊重にも、軽紅も値する。軽蔑に値するのは、その具体的な意識と外に現われた姿からみてのことであり、尊重に値するのは、その本質的基礎からみてのことである」(GWF・ヘーゲル『法の哲学』)。

女性たちが社会に進出していくのもこの時代である。ショート・ヘアで、自動車を乗りまわし、煙草を吹かして、パーティーにあけくれるフラッパーが流行の最先端であり、彼女たちは婦人参政権を叫んでいる。ガブリエル・シャネルが働く女性のためのファッションを売り出し、『ヴォーグ』や『ハーパーズ・バザー』などのファッション誌によって、パリ・ファッションがアメリカ中に伝わる。毎年、新しい形が発表されるというファッション業界のスタイルも、このころに、確立されている。スポーツがブームで、テニスやゴルフ、水泳を女性も楽しむようになっている。それにともない、短くスポーティーな服がつくられ、時代のモードになる。第一次世界大戦を契機に、日本でも、女性が産業界に進出し、「職業婦人」が登場する。彼女たちは女教師やタイピスト、電話交換手、事務員の職に就き、経済的な地位向上を促す。横田順彌の『明治不可思議堂』によると、文明開化の時期でさえ、美人コンテストや女相撲、女性野球が行われていたが、本格的な大衆化社会に突入した二〇年代、女性が文化の重要な担い手になっていく。一九世紀が「国民」、すなわち成人男性の文化だとすれば、二〇世紀の文化は「女性」、すなわちマイノリティの文化である。「モガ」が時代に彩りをさらに添える。モダン・ガールという言葉を初めて用いたのは新居格であり、彼は、一九二五年四月の『モダン・ガールの輪郭』において、「社会婦人は建設的に団結するが、モダン・ガールは崩壊的に個人で行く。前者が論理的で後者は情熱的だ。既成の観念にたいして反逆的であるのは同様でありえても」と書いている。モガの理想は銀幕のスター、リリアン・ギッシュやメリー・ピックフォード、栗島すみ子、岡田嘉子である。「映画俳優というものは、原始部族の聖者のように、現代では観衆を囚にすることのできる神である」(アレキサンダー・チェイズ)。女性たちは美容に惹かれ、クラブ白粉や資生堂のコールド・クリーム、婦人雑誌に紹介された美容法は女性の関心の的となる。都市の新たな住人の増加により、家と家の縁組から個人と個人の結婚へと移り変わりつつあり、新たな夫婦生活に関するハウツー本が多く売れている。そのころの本は実用的ではなく、無害で、読んで損はないけれど、得もない。明治維新以降、新聞の発刊が相次ぎ、新聞こそ活字文化を担ってきたが、大正になると、雑誌の時代が到来する。現在のワイドショーも、スタート時、女性誌の誌面構成を参考に、番組が制作されている。そういった日本の主婦向け雑誌の原型が一九一七年に創刊された『主婦之友』である。第一次世界大戦による好況を背景にして誕生した都市部の新興小市民家庭の主婦を対象に、料理や海外生活、小説、ルポルタージュなどが並んでいる。初版は二万部だったが、昭和前期には一八〇万部を発行している。ただし、主婦としてふさわしいメークが記載されている。メークが主婦としての女性の鋳型であって、個人としての女性へのステップではない。以降、二〇世紀文化は女性によって活性化する。

こうした二〇世紀の文学は近代文学とは別の名称が必要だろう。それは、同時代性に基づいている点から、「現代小説(Contemporary Novel)」と呼ぶことができる。森毅は、『数学の歴史』において、一七世紀を「原理の世紀」、一八世紀を「事実の世紀」、一九世紀を「体系の世紀」、二〇世紀を「方法の世紀」と命名している。これは文学史にも適用が可能である。近代小説は体系への志向が強く、体系の文学を見なして差し支えない。現代小説には、ロスト・ジェネレーションの文体が示しているように、その近代小説の体系性に対する方法への意志があり、方法の文学である。現代小説は近代小説の大衆化であり、オルタナティブである。作家は新たな文体を模索しなければならない。大衆はブルジョア的心性を規範として重層的・内包的に持っている。現代小説は雑誌に掲載されなければならない。大衆社会は細分化した読者を生み出す。この文学は二〇世紀的な金融資本主義=コモンウェルス体制に基づいている。「コモンウェルス」は「英連邦(Commonwealth of Nations)」が示している通り、EUASEAN、アラブ連合といった国民国家を超えた連合であり、現在、主流の政治体制である。現代小説には、近代小説の持つ力強く、急で、荒々しいメリハリは好ましくない。方法の文学である以上、繊細さが不可欠である。ニュートラルで、クール、ドライ、無機質な文体で記される。二〇世紀文学は近代小説をさらに複製化し、記号化する。田中康夫は『新・文芸時評』の中で小説の創造を「ロビンソン・クルーソー的作業」と呼んだが、寺山修司は、現代社会では、人間は「マッチ箱の中のロビンソン・クルーソー」にすぎないと言っている。現代小説は近代小説が飲みこんだジャンルを復活させ、登場人物を大衆化している。それは「メロドラマ(Melodrama)」であり、SFやミステリー、サスペンス、アドベンチャー、ファンタジーが属している。現代小説は生きているとも死んでいるとも言えない。現代小説は諸ジャンルを具象レベルでは分化し、抽象レベルでは統一化する。現代小説の特徴は近代小説によって限定された世界の脱構築にある。近代小説は言説の物質化であったが、現代小説はその再配置を試みる。多様なジャンルが混在している近代小説の諸ジャンルの合流の伝統にのっとり、エントロピー的現象である。こうした大衆の文学はパスティッシュなアイロニー様式である。近代の文学は、程度の差こそあれ、アイロニーを含んでいる。メロドラマは、痛ましい結末になろうとも、その本質は喜劇である。ジョセフ・W・ミーカーは、『喜劇とエコロジー』において、喜劇と悲劇を生態学との関連で把握している。ミーカーは人間を自然の上に置き、世界を善と悪との戦場とする悲劇観を批判し、敵対するものを和解させ、環境に適応していく喜劇の世界を選択することを説く。人間の笑われるべき愚かさを描く喜劇のうちには、人間とほかの生物が共生するのに有効な方法があるというわけだ。メロドラマの制作者は大衆の嗜好に敏感でなければならないため、しばしば重層的に社会問題をとりあげるが、和解と共生を内包している。メロドラマは、一八世紀のヘンリー・フィールディングがその要素を嘲笑しているように、二〇世紀になって誕生したものではない。現代のメロドラマでは、アイロニーがゲーム化されている。読者はアイロニーの精神をもって、わざとらしいと嘲りながら、作品を読むようになる。アイロニーは、作品を媒介して、作者と読者の関係に効いてくる。現代の読者は、ある意味で、素朴であると同時に狡猾である。彼らはメロドラマを真剣に受けとめることはない。大衆は送り手の考えを額面通り受容することはないが、ルサンチマンを晴らすためには、それを信ずるふりをする。アイロニーが幅をきかせていても、その革命的意義は失われ、現代人の必須的姿勢、すなわち常識である。そのようにして現代小説は社会で共有される。

 メロドラマはジャンルの多様化を志向する。それは時刻においても同様の状況が見られる。二〇世紀、Y2K問題を筆頭に、時計の支配が強化された一方で、サマー・タイムが各国で採用され、時刻の多様化が導入されている。さらに、一九九〇年代初頭から、イギリスでは、時刻を一時間進め、独仏など欧州大陸側に合わせる法案が何度か検討されている。大陸の企業との連絡・取引の際に時差を無視できるため、金融界もこの時差解消法案を支持している。法案提出者はドーバー海峡を越える度に、時計を調整する煩わしさがなくなる上、冬も日没前に帰宅できることから、交通事故を減らす利点もあるとしている。BBCは交通事故の減少で年間で一〇〇人の命が助かるだろうと推測している。けれども、緯度が高いスコットランド選出の議員は、冬の日出が午前中の遅い時間になるとしてロンドンの法案に反対している。グリニッジを標準時が世界の時刻は決められているが、その中心が流動化しつつある。同じように、メロドラマは近代小説という標準を必ずしも必要としていない。

ミハエル・バフチンが『ドストエフスキーの詩学』の中でフョードル・ドストエフスキーの作品を「ポリフォニー」と呼んだように、作品の構成は楽器と編成を比喩にして理解する。シンフォニーも、原則的には、四つの楽章から成り立っている。通常、第一楽章はソナタ形式、第二楽章は歌謡形式、第三楽章は舞曲形式、第四楽章はロンドもしくはソナタ形式である。交響曲は発展的であると同時に循環的であり、近代小説に見られる特徴を有している。他方、現代小説はクラシックよりも、ポップ・ミュージック的である。ポール・ホワイトマンがジャズの楽団をひきつれてロンドンを訪れた際、ジャズは、ヨーロッパでは、音楽家やジャーナリストからは非難されるか、無視されるかという惨憺たる状況に置かれる。けれども、意欲的な音楽家や民衆はジャズに熱狂する。現代音楽の先駆者の一人モリス・ジョゼフ・ラヴェルも、パウル・ヴィトゲンシュタインに捧げた『左手のためのピアノ協奏曲』を一例に、ジャズに影響を受けている。また、ジョージ・ガーシュインやイーゴリ・ストラヴィンスキーはシンフォニック・ジャズの傑作を作曲している。作家は、お題目ばかり唱える古臭い連中を嘲るように、その新たな音楽に合わせて小説を書いていく。

メロドラマは、自らの存立させるために、スキャンダルを再生産しなければならない。スキャンダルは再生のきっかけにすらなる。それは共同体の選択・排除の装置ではなく、仮死・再生の装置である。ブルジョアは成りあがり者であり、貴族階級にとって、物笑いの種である。実用性が無視されたオート・クチュールを身にまとうブルジョアとプロレタリアートの間では、ファッションによって、階級が一目瞭然である。第一次世界大戦後になると、装飾品をあまりつけないシンプル・ファッションを経てショート・スカートが主流になる。慎みはもはや美徳ではない。解放された女性の中には、アール・ヌーヴォー的な妖艶さを追及するものもいたが、大衆のファッションは区別がつかない。階級闘争を無化したけれども、大衆はブルジョアを不可欠な前提とする。彼らはブルジョア道徳を規範にしているが、その欺瞞に自覚的である。現代の金持ちは大衆の味方であると見られたい。大衆の世紀では、ブルジョア以上に、有名人こそが好まれる。大衆社会のスキャンダルは欲望ではなく、無意識の道具となる。近代小説がブルジョアの欲望とイデオロギーを満たすのに対して、現代小説は大衆の無意識とイデオロギーを大量生産する。GWF・ヘーゲルは、『歴史哲学』の中で、ギリシア悲劇における民衆の地位について、「王家と民衆との間にはなんら本来の倫理的結合はなかった。悲劇においても、民衆と王家はこのように配置されている。民衆はコーラスであり、受動的であって、演技をしないのに対して、英雄たちは演技をし、罪を引きうける。(略)英雄的個性が劇芸術対象になりうるのは、彼らが自立的個人的に決意して、市民たちに適用される一般的法律によっては左右されないからである」と言っているが、大衆はブルジョアやロイヤルをパロディ化を求める。今日では、有名になるために、むしろ、スキャンダルをマスメディアに売りこむ者さえ少なくない。「群衆の賛美がないような作品は、すべて呪われるのだ! 群衆がさげすむもの、それはなんの価値もない作品である」(エクトール・ベルリオーズ『回想録』)。メロドラマはスキャンダル生産のオートメーションと化し、読者は消費する。成井紀郎は、もし孫悟空がテレビ時代に生きていたらという仮定の下に、『ゴーゴー悟空』というマンガ作品を描いたが、悟空の願望は人間になることではなく、スターや有名人になることであり、悟空は「スターとか有名とかいわれと、おもわずしらず、心がときめいてしまうわ。なにがわたしをそうさせるのかしら」と告白している。大衆はスキャンダルになれ、次第に無反応になり、よりセンセーショナルになるか、小さな差異を求めるようになる。メロドラマは、世界を徹底的に大きく広げるか、逆に、徹底的に小さくさせていき、小さな出来事や事件を大きく見せる。そこでは、日常以上にはるかに小さい出来事や事件しか起こらない。近代小説の支配的時代において、小説が商品化されたが、高度に発達した消費社会の現代小説では小説家も商品化される。一九世紀でも、俳優志望だったチャールズ・ディケンズが自作の朗読会を数多く催し、人気を博しているし、オスカー・ワイルドは、戦略的に、まず社交界で有名になった後、作品を発表している。けれども、よりワールド・ワイドなメディアが発達した二〇世紀の小説家は、トルーマン・カポーティにしろ、三島由紀夫にしろ、作品以上に彼ら自身のほうが商品価値が高い。スキャンダルはその商品を売るための契機となり、多くの場合、それを神話化させる。

こうした流れは文学が産業化した証拠である。権威の不在を文学賞によって基礎付けようとする。文学賞は文学的価値ではなく、出版産業を活性化するためのイベントである。権威は商業主義のために、その生死は決定不能になっていなければならない。作品も作家も巨大な産業の一部にすぎない。

現代小説の傾向を分析していくと、有島の作品にもそれが見られることが明らかになる。『或る女』の前編では、水夫というモッブが印象的に描かれているが、モッブはメロドラマには欠かせない。

ノースロップ・フライは、『批評の解剖』において、モッブについて、探偵小説を例にとり、次のように述べている。

 

現代はアイロニー文学の段階にあり、探偵小説の流行は大体これで説明できる。探偵小説の慣習は、探偵がパルマコスを探し出して懲らしめることにある。シャーロック・ホームズ時代の探偵小説は低次模倣様式をさらに徹底させたものとしてはじまるが、この形式では、細部に注がれる鋭い観察によって、誰も顧みないような日常の些末事か、一躍不思議な不吉な意味を帯びてくるのである。しかし、探偵小説は次第にこの形式をはなれて、一種の祭儀的なドラマに近づく−−この祭儀は死体のまわりでとり行なわれ、一団の「容疑者」たちの上を、罪を問う社会の指がめぐってゆき、ついにそのうちの一人の上にとまる。罪の証明は人為的に仕組まれたものであり、せいぜい一応の筋道が立つという程度なので、恣意的に選ばれる生贄という印象が強くなる。もしもこの過程が真に必然的なものであるならば、『罪と罰』のような悲劇的アイロニーが生ずるはずで、この場合ラスコーリニコフの性格と彼の犯罪とは切り離せないものであり、「犯人は誰か」の謎が入る余地は全くなくなってしまう。探偵小説が次第に残酷なものになって行くと、探偵ものは結局スリラーと合体し、メロドラマの一形態となる(ただし、この場合の残酷さは、形式上の約束事によって保護されている。つまり、容疑者の一人が必ず犯人であるという探偵の信念は決して誤ることはあり得ない、という約束になっているのだ)。悪に対する道義の勝利、そしてその結果、観客が抱いている(ということになっている)道徳的観点を理想化すること、この二つがメロドラマの主要なテーマである。残酷なスリラーのメロドラマは、リンチ集団の独善性に、芸術として可能なかぎりに近づくのである。

そこで、あらゆる形態のメロドラマ、特に探偵小説は、モップ暴力を正常なものとして表現するものであり、その限りにおいて警察国家の前宣伝であると言わねばならぬところである。しかし、それはメロドラマを真剣にうけとることが可能ならば、の話であって、実際にはそれは不可能であろう。遊びという防壁は依然として健在である。

 

 モッブ・シーンは、メロドラマでは、重要である。モッブによって中心的登場人物を際立たせる。モッブは、それだけでなく、主人公を必要としない作品さえ可能にする。メロドラマの原形を提出したエドカー・アラン・ポーは、『群衆の人』において、このモッブそのものに焦点をあてている。モッブは神の死と共に出現した存在であり、恐怖や混乱、歓喜の表象である。一九世紀というブルジョアの世紀において、彼らに反抗的なプロレタリアートはモッブとして把握されていたが、二〇世紀は大衆の世紀であり、世界はモッブに覆われる。

『或る女』というタイトルには人称代名詞も、固有名詞も、定冠詞も、抽象名詞も使われていない。葉子はある一人の女、匿名の女である。クロス・ワード・パズルが流行ったように、大衆の時代の文学は直喩よりも、換喩に執着する。クロス・ワード・パズルはイギリスの通勤列車内で暇つぶしに解いている紳士をよく見かけるが、もともとは、一九一三年、『ニューヨーク・ワールド』の日曜版で始まり、二〇年代に入って、世界的に、人気に火がついたものである。ミステリーの楽しさは換喩の性質に負っている。同時代性は有名によって匿名を表わすような換喩である。ロマン・ヤコブソンは、『一般言語学』において、陰喩と換喩を対比的な二要素として、その度合いに応じて、文学作品の傾向を省察する観点を提起したが、それはこの大衆の世紀の特徴と無縁ではない。

『或る女』の中で、作者の語りに最も近いのは自分をモデルにした古藤であるが、彼と作者はスポーツ中継のアナウンサーと解説者の関係に似ている。メロドラマには、こうした個性に乏しいけれども、状況を説明する登場人物が不可欠である。古藤は、木村宛ての手紙の中で、葉子について、「明白に言うと僕はああいう人は、一番嫌いだけれども、同時にまた一番牽きつけられる。僕はこの矛盾を解きほごして見たくなってたまらない」と書いている。彼は凡人であって、中立的であり、読者に近い。

古藤は、物語の付添い人として、次のように描かれている。

 

古藤は例の厚い理想の被の下から、深く隠された感情が時々きらきらとひらめくような眼を、少し物惰げに大きく見開いて葉子の顔をつれづれと見やった。(略)古藤の凝視にはずうずうしいというところは少しもなかった。また故意にそうするらしい様子も見えなかった。少し鈍と思われるほど世事に疎く、事物の本当の姿を見て取る方法に暗いながら、真正直に悪意なくそれをなし遂げようとするらしい眼つきだった。古藤なんぞに自分の秘密が何で発かれてたまるものかと多寡をくくりつつも、その物軟らかながらどんどん人の心の中にはいり込もうとするような眼つきに遇うと、(葉子は)いつか 秘密のどん底を誤たず掴まれそうな気がしてならなかった。そうなるにしてもしかしそれまでには古藤は長い間忍耐して待たなければならないだろう。そう思って葉子は一面小気味よくも思った。

 

(古藤のような、世の習俗になずまず、自由に考えることのできそうな青年でさえ)結婚というものが一人の女にとって、どれほど生活という実際問題と結びつき、女がどれほどその束縛の下に悩んでいるかを考えて見ることさえしようとはしないのだ。そう葉子は思っても見た。

 

 「真正直」で、地味、自己を卑下した人物は喜劇には欠かせない。古藤のようなストレート・マンは、シャーロック・ホームズに対するワトソン博士のごとく、メロドラマでは、主人公に寄り添い、引き立て、読者に状況を解説する存在である。こうした平均人は作品世界を読者の住む世界とつなぎとめる。近代小説以前のロマンスでは、ストレート・マンが活用されていないために、両者の結びつきが弱い。メロドラマはたんある伝統への回帰ではない。

『或る女』の後編では、倉地がスパイになっている。倉地がスパイになる理由が思想や信条ではなく、ダルトン・リー同様、金という点が現代的である。ミステリーやスリラー、アドベンチャーではスパイのような人物が登場する。倉地は、マタ・ハリにはいささか近いかもしれないとしても、ラインハルト・ゲーレンやリヒャルト・ゾルゲ、ガポンではない。スパイは決定不能的な二重性がある。スパイは私服姿で諜報活動を行うものであり、交戦区域で制服姿の軍人の公然たる諜報活動はスパイ行為とは認められない。その重要性が増したのが第一次世界大戦からであるように、服装による識別が困難になった時代にスパイは有効である。スパイはターゲットを追うと同時に、誰かに追われる。フレデリック・フォーサイスは、狩りというロマンス的主題を持った『ジャッカルの日』の各章を「陰謀の解剖」・「追跡の解剖」・「暗殺の解剖」と命名していることは、まさに、象徴的である。それはアナトミーとロマンスの混合形のメロドラマであり、スパイの登場する小説も同様の傾向を持っている。

有島は、現代小説家同様に、新たな文体への意志を持っている。『或る女』では、水夫たちを表現するのに、オノマトペを使っている。オノマトペは、英語において、インフォーマルな言葉として扱われ、彼はその規則に従っている。ほかの作品においても、日本語の表現を多様化させている。『生まれ出づる悩み』や『小さき者へ』では、呼称として二人称を使っている。横光利一が偶然性の重視、四人称の手法を提唱した純粋小説の発想はメロドラマの典型である。四人称はアイヌ語に見られ、話し相手を含む一人称複数・不定人称・主語と目的語の明確化・二人称敬称・引用の一人称に用いられる。北海道の小説家有島の文体はこれに近づこうとしている。

 さらに、有島は、『生れ出づる悩み』において、船を次のように描いている。

 

船はもう一個の敏活な生き物だ。船縁からは百足虫のように艪の足を出し、艫からは鯨のように舵の尾を出して、あの物悲しい北国特有な漁夫の懸声に励まされながら、真暗に襲いかかる波のしぶきを凌ぎ分けて、沖へ沖へと岸を遠ざかって行く。海岸に一と団りになって船を見送る女達の群れはもう命のない黒い石ころのようにしか見えない。漁夫達は艪を漕きながら、帆綱を整えながら、浸水を汲み出しながら、その黒い石ころと、模範船の艫から一字を引いて怪火のように流れる炭火の火の子とを眺めやる。長い鉄の火箸に火の起った炭を挟んで高く挙げると、それが風を喰って盛んに火の子を飛ばすのだ。凡ての船は始終それを目あてにして進退をしなければならない。炭火が一つ挙げられた時には、天候の悪くなる印を見て船を停め、二つ挙げられた時には安全になった印として再び進まねばならぬのだ。暁闇を、物々しく立ち騒ぐ風と波との中に、海面低く火花を散らしながら青い焔を放って、燃え上がり燃えかすれるその光は、幾百人の漁夫達の命を勝手に支配する運命の手だ。庸その光が運命の物凄さを以て海上に長く尾を引きながら消えて行く。

 

荒々しさや猛々しさに関して気品を持った大きなスケールで描写している点だけ考慮すれば、近代小説に分類されかねないが、有島は無生物主語や他動詞表現といった英語の構文を日本語に応用しつつ、船を擬人的に表現している。この意欲的な文体はウィリアム・フォークナーやジョン・スタインベックを思い起こさせる。

また、「二つの道がある。一つは赤く、一つは青い。凡ての人が色々の仕方で其の上を歩いて居る」(『二つの道』)を代表に色彩の比喩が多く、豊かな色彩という特徴があり、『一房の葡萄』において、次のように記している。

 

先生はにこにこしながら僕に、

「昨日の葡萄はおいしかったの。」と問われました。僕は顔を真赤にして「ええ」と白状するより仕方がありませんでした。

「そんなら又あげましょうね。」

 そういって、先生は真白なリンネルの着物につつまれた体を窓からのび出させて、葡萄の一房をもぎ取って、真白い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏で真中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。真白い手の平に紫色の葡萄の粒が重って乗っていたその美しさを僕は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。

 

赤や白、紫といった色彩のコントラストが鮮烈であると同時に、記憶へと連なる。物の形態よりも、まず色彩が感じられている。色彩が生々しい肉感的な感触へと転換する。視覚的なものは触覚的表現として把握され、先生は肉感的に表われる。それは印象派ではなく、モダン・アートのカンバスである。

近代小説は蒸気機関の比喩で語られる圧縮=開放の世界を体現していたが、現代小説は二〇世紀的なものに基づいている。「昔の詩人の一人が真理は時代の娘であると言った」(アウルス・ゲリウス『アッティカの夜』)。熱力学が扱う熱は作用であって、実体ではない。近代小説は作用の文学である。一方、二〇世紀は電気の世紀であり、現代小説は電磁気学的な相互作用の文学であろう。その世界は、電場の強さと方向を線の密度と方向で描く電気力線のアナロジーによって、表現できる。それは重層=内包の図式である。

『或る女』にも、階層における人間関係の描写は重曹と内包の性質を持っている。「その年の六月に伊藤内閣と交迭して出来たできた桂内閣」を一例に、具体的に固有名詞を使って時代をイメージさせている通り、有島は、時代・社会の変化を踏まえて、自覚的にそう記述している。

 有島は、人間関係をめぐって、『或る女のグリンプス』から『或る女』へ次のように書き変えている。

 

サロンでは何時でも田川夫妻が最上の席を占めて其周囲には船長や、かの外交官の斎藤や、随行の法学士や、其外既に自分自身纏まった事業を持って居る人々が集まった。それから細い絲で連絡を取ったように二三人のどっち付かずの人にながれて田鶴子を中心にした一座が陣を取った。其所にはまだ若い留学生と、仕事のないらしい老人と、殊に沢山の小供が集った。

(『或る女のグリンプス』)

 

午餐が済んで人々がサルンに集まる時などでは団欒が大抵三つ位に分れて出来た。田川夫妻が周囲には一番多数の人が集まった。外国人だけの団体から田川の方に来る人もあり、日本の政治家実業家連は勿論我れ先きにそこに馳せ参じた。そこから段々細く糸のようにつながれて若い留学生とか学者とかいう連中が陣を取り、それから又段々太くつながれて、葉子と少年少女等の群れがいた。

(『或る女』)

 

 『或る女のグリンプス』と『或る女』を比べると、後者のほうが人々を明確に分類していて、「団欒」の間の人に動きがあり、重層・内包が強調されているのに対し、前者では人が圧迫された雰囲気の中でとまっているように感じられる。プロトタイプが一九世紀的世界にとどまっていたが、その拡張版を二〇世紀的である。人々は圧縮=開放ではなく、重層=内包の関係で生きている。抑圧は、あからさまだったブルジョアの時代と違い、よりinvisibleになる。

 有島は、一九二〇年に発表した『惜しみなく愛は奪う』において、愛に関する考えを表明しているが、この愛も次のように重層・内包の特徴を持っている。

 

 私は私自身を愛しているか。私は躊躇することなく愛していると答えることが出来る。 私は他を愛しているか。これに肯定的な答えを送るためには、私は或る条件と限度とを交附することを必要としなければならぬ。他が私と何等かの点で交渉を持つにあらざれば、私は他を愛することが出来ない。切実にいうと、私は己れに対してこの愛を感ずるが故にのみ、己れに交渉を持つ他を愛することが出来るのだ。私が愛すべき己れ存在を見失った時、どうして他との交渉を持ち得よう。そして交渉なき他にどうして私の愛が働き得よう。だから更に切実にいうと、他が何等かの状態に於て私の中に摂取された時にのみ、私は他を愛しているのだ。然し己れの中に摂取された他は、本当をいうともう他ではない。明らかに己れの一部分だ。だから私が他を愛している場合も、本質的にいえば他を愛することに於て己れを愛しているのだ。そして己れのみだ。

但し己れを愛するとは何事を示すのであろう。私は己れを愛している。そこには聊かの虚飾もなく誇張もない。又それを傲慢な云い分ともすることは出来ない。唯あるがままに申し出たに過ぎない。

 

「愛は惜しみなく奪う」というテーゼを不吉な欲望や暴力のモラルの肯定を叫ぶ周辺者や異端者と考えてはならない。「己れ」と「他」の関係は重層であったが、論理展開しているうちに、「他」は「己れ」に内包されてしまう。それは電気力線の図を思い起こさせる。ポール・アンドラは、『異質の世界─有島武郎論』において、「北海道」・「アメリカ」・「都会と海」という歴史的・地理的構造を三章としてとりあげながら、それを位相幾何学的に抽象化することによって、有島を解明しようとしている。トポロジーは重層と内包を考える際に、必要不可欠な方法論であり、電磁気学にも応用されている。アンドラの論考は、有島が配置に関して鋭敏な感覚を持った作家であることを明らかにしている。有島はそれらの場所に所属しているのではなく、その間に存在している。有島は配置から生じる相互作用を問い続けたのである。

 

「おや何故一等になさらなかったの。そうしないといけない訳があるから代えて下さいな」と云おうとしたけれども、火がつくばかりに駅夫がせき立てるので、葉子は黙ったまま青年とならんで小刻みな足どりで、たった一つだけ開いている改札口へと急いだ。

(『或る女』)

 

 そうした場所の間を志向する有島に対して、柄谷行人は。『場所についての三章』の中で、アルフレート・シュッツの「異人」の概念を適用している。シュッツは、『現象学的社会学の応用』で、「異人(Der Fremde: Stranger)」を「偶像破壊者・涜聖者、あるいは共同体のメンバーの誰一人にとっても互いに理解し合い理解しうる正当な機会を与える一貫性、明証性、まとまりといった外観を保証する『相対的・自然的世界観』を次第につき崩すもの、共同体内のメンバーが疑問に付さないほとんどすべてに疑問符を付する者」であると同時に、視覚的に「異和感」を持つと言っている。

 柄谷は。『場所についての三章』において、それが適切な理由を次のように述べている。

 

有島にこの異人という概念がふさわしいのは、彼の農地解放から情死にいたるまでの行為が、いつも他人を困惑させるいかがわしさに包まれていたことである。芥川・太宰・三島の自殺は、理解不能だとしても、なお神話化され位置づけられることができるのに対して、有島の情死はまったくの(ノン)意味(センス)にすぎない。有島自身の「一貫性」は、他人(共同体)にとっては、いつも唐突な気まぐれとしか映らない。

 

 神話は共同体の形成根拠として機能する。共同体に属していなければ、神話は無縁である。「異人」は神話を形成しない。ただスキャンダルを巻き起こすだけである。スキャンダルはしばしば神話化するが、それは新たな共同体が誕生する場合に限られる。ストレンジャーはそうした起源にはなりえない。「私は第四階級以外の階級に生まれ、育ち、教育を受けた。だから私は第四階級に対しては無縁の衆生の一人である。私は新興階級者になることが絶対にできないから、ならしてもらおうとも思わない。第四階級のために弁解し、立論し、運動する、そんな馬鹿げきった虚偽もできない。今後私の生活が如何様に変わろうとも、私は結局従来の支配階級者の所産であるに相違ないことは、黒人種がいくら石鹸で洗い立てられても、黒人種たるを失わないのと同様であるだろう」(『宣言一つ』)。有島は、こう書きながら、第四階級にはもちろん、支配階級にさえも属してはいない。結局、彼は、最期まで、ストレンジャーとしてあり続ける。

 

Strangers in the night exchanging glances

Wondering in the night

What were the chances we'd be sharing love

Before the night was through.

 

Something in your eyes was so inviting,

Something in you smile was so exciting,

Something in my heart,

Told me I must have you.

 

Strangers in the night, two lonely people

We were strangers in the night

Up to the moment

When we said our first hello.

Little did we know

Love was just a glance away,

A warm embracing dance away and -

 

Ever since that night we've been together.

Lovers at first sight, in love forever.

It turned out so right,

For strangers in the night.

(Frank Sinatra “Strangers in the Night”)

 

 一九二三年、有島武郎がその夫から姦通の脅迫を受け、女性新聞記者の波多野秋子と心中しだとき、『サンデー毎日』、『週刊朝日』、『週刊婦人新聞』、『泉』、『改造』、『解放』、『女性改造』、『婦人公論』、『婦人画報』、『早稲田文学』、『愛聖』、『鐘がなる』、『種蒔く人』、『婦人之友』、『新人』、『婦人新報』、『文化生活』、『婦人世界』、『婦女界』、『良婦之友』、『表現』、『新家庭』が追悼特集号を組んでいる。これらは一九二三年の七月から九月までの間に集中しており、二号に渡る雑誌まであったが、中でも、女性誌で特集されているのが目につく。今日では、作家と出版社・新聞社との力関係によって。スキャンダルが表沙汰になることは滅多にない。逆に、その紳士協定を破るものがいかがわしく見られてしまう。『大衆の反逆』のころ、オルテガ・イ・ガゼットが新聞を「知的広場」と呼んだ通り、新聞は徐々にエスタブリッシュメントと化し、スキャンダルやゴシップを避けるようになる。それに代わり、雑誌の機能が高まっていく。一九二七年の芥川龍之介の自殺は社会的問題として認識されたが、その五年前の有島の心中は今ならさしずめワイドショーがとりあげるようなスキャンダルにとどまっている。キリスト教徒にとって、自殺は罪であり、内村鑑三は有島の心中を棄教した結果であると激しく糾弾している。「私を動かす力は愛なのです。愛はどこへでも私を引っぱって行きます。愛は、愛する者の心に、決してむなしく怠惰であることはありません。愛は必ず駆り立てて、導くものです」(聖アウグスティヌス『告白』)。有島の死は、ボヤイ・ヤノシュと同様、「その生涯は無駄に終わった」と教会が記録することだろう。

作者と違い、葉子は自殺しない。二つの次代の間に生きる葉子の状態は持続的な宙吊りの状態、すなわちサスペンスであり、これはメロトラマの重要な手法である。彼女を動かすのは「死の本能」(ジークムント・・フロイト『快感原則の彼岸』)である。葉子は、タナトスによって、特別の死にあてはまらない死の脅威から守られている。特別の死は神の死である。だが、父を殺せても、母を殺せない。母殺しは自分を殺すことだからである。アイスキュロスの『オレステイア』によると、アガメムノンの息子オレステスは母クリュタイメストラを、密夫アイギストスと謀って夫を殺害した理由で、姉エレクトラと共に、殺している。オレステスは、オイディプスとは違い、確信犯である。オイィプスが自ら眼をつぶすのに対して、オレステスは、自分の意志から離れて、発狂してしまう。母殺しの罪はその意思に下され、狂気に陥る。

葉子は、『或る女』の中で、自分自身の生き方について、次のように考えている。

 

葉子はなべての順々に通って行く道を通ることはどうしても出来なかった。通って見ようとしたことは幾度あったかわからない。こうさえ行けばいいのだろうと通って来て見ると、いつでもとんでもなく違って道を歩いている自分を見いだしてしまっていた。そして躓いては倒れた。(略)幾度ものそんな苦い経験が葉子を片意地な、少しも人を頼ろうとしない女にしてしまった。そして葉子はいわば本能の向かせるように向いてどんどん歩くより仕方がなかった。

 

葉子の神経は時には自分でも持て余すほど鋭く働いて、誰も気のつかない匂いがたまらないほど気になったり、人の着ている衣物の色合いが見ていられないほど不調和で不愉快であったり、周囲の人が腑抜けな木偶のように甲斐なく思われたり、静かに空を渡って行く雲の脚が瞑眩がするほどめまぐるしく見えたりして、我慢にもじっとしていられないことは絶えずあった。

 

 葉子の言動は間接的に母に対する非難である。自己と対象との関係が自己と心の中の対象のイメージとの関係にすりかわっている。「間違っていた……こう世の中を歩いて来るんじゃなかった」と後悔する葉子は、精神の異常に苦しみながら、子宮後屈症と子宮内膜炎を併発したのが原因で、死んでいく。「心理学的状態としてのニヒリズムがあらわれざるをえないのは、第一に、私たちがすべての生起のうちに、そのなかにはない『意味』を探しもとめたときである。そのためついには探求者は気力を失う」(フリードリヒ・ニーチェ『権力への意志』一二)。スコット・フィッツジェラルドに見初められた田舎娘で、代表的なフラッハーのゼルダも、二〇年代の深まりと共に、発狂している。「革命時代を評しては、道に迷っている時代だといわざるをえないが、現代については、調子の狂った時代だと評さざるをえない。個人も世代も、たえずそれぞれ思い思いの方向に向かって進み、お互いに角つきあわせて邪魔しあっている。それだから、告発者たろうとする者が、なんらかの事実を立証しようと思っても、不可能なことだろう。事実など何もないからである」(ゼーレン・キルケゴール『現代の批判』)。父も母も亡くし、狂気に襲われる葉子が最期を迎える際に、内田を呼ぶのは近親相姦的行為である。「手をのばせば届くのに、神をとらえるのは難しい」(JCF・ヘルダーリン『パトモス』)。しかし、父=神は死んだのであり、それを自覚し、ニヒリズムにおいて生きざるを得ない。”I do I know not what, and fear to find mine eye too great a flatterer for my mind. Fate, show thy force: ourselves we do not owe; What is decreed must be, and be this so”(William Shakespeare “Twelfth Night” Act1 Scene 5).

神の死後にもかかわらず、葉子は、内田にエウリピデスの「機械仕掛けの神」のような登場を望む。けれども、「ゴドーを待ちながら」(サミュエル・ベケット)、喜劇的に、葉子が死んでいくとき、神の死は決定不能に置かれ、新たな時代が顕在化する。この死は「獅子」の役割が終わり、次の精神の段階の到来を内包している。葉子は定子を残していったのであり、彼女が第三の精神、すなわち「幼子」を表象している。

 

しかし、わが兄弟たちよ、答えてごらん。獅子でさえできないことが、どうして幼子にできるのだろうか? どうして奪取する獅子が、さらに幼な子にならなければならないのだろうか?

幼子は無垢である。忘却である。そして一つの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である。

そうだ、創造の遊戯のためには、わが兄弟たちよ、聖なる肯定が必要なのだ。ここに精神は自分の意志を意志する。世界を失っていた者は自分の世界を獲得する。

(『ツァラトゥストゥラはかく語りき』)

 

 「幼子」は、「獅子」の破壊を踏まえて、新たな価値を生み出す。「獅子」はニヒリズムを推し進める一九世紀的な精神であるのに対し、「幼子」は二〇世紀的な精神である。『或る女』は「獅子」の行動を描きながらも、「幼子」を予感させている。つまり、これは一九世紀と二〇世紀の間の一九一九年を体現した作品にほかならない。

有島は神の殺害者であると同時に、神の死が決定不能になっていく時代の変化を感受した作家である。それはあまりに進んでいた姿勢であり、当時の人々にはいささか唐突に見えてしまう。「時々私は思いもよらないような事をするが、それは咄嗟の出来事ではない。私なりに永く考えた後にする事だ。唯それを予め相談しないだけのことだ」(有島『私の父と母』)。有島は先が早く見えすぎる。彼の作品の独自性と孤独はそれに起因する。「異人」は、そういった先見性のために、共同体の属せない生成である。ストレンジャーの有島の小説家としての力量は時代の最先端のその先を行っている。しかし、「他人よりずっと賢い必要はない。ただ一日早ければよい」(レオ・シラード『シラードの証言』)。

 

私が物語るのは、次の二世紀の歴史である。私は、来たるべきものを、もはや別様には来たりえないものを、すなわちニヒリズムの到来を書きしるす。(略)いったいなぜニヒリズムの到来はいまこそ必然的であるのか? それは、私たちのこれまでの諸価値自身がニヒリズムのうちでその最後的帰結に達するからであり、ニヒリズムこそ私たちの大いなる諸価値や諸理想の徹底的に考えぬかれた論理であるからである、──これらの「諸価値」の価値が本来何であったかを看破するためには、私たちはニヒリズムをまず体験しなければならないからである……私たちはいつの日にか、新しい諸価値を必要とする……

(フリードリヒ・ニーチェ『権力への意志』「序言」)

〈了〉

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